3・過ち
2年生に進級して暫くは、色々と新学期の行事等で追い付かない日が続いた。
それらもようやく一段落ついた頃。クラブハウスに向かう途中の手塚を不二が呼び止めた。
「手塚、今日、久し振りに行かない?」
どこへとは聞かなくてもわかっていた。
「かまわないが...」
そう手塚が言うと、不二はにこっと笑った。その笑顔に手塚は疑問を覚える。
他の人が見ればいつもの不二の笑顔と同じに見えたかもしれない。それくらいささやかな違い。
目的地へ着いた後、二人は当然のようにコートで試合を始めた。
こうして二人だけで打ち合いをするのは、もう何回目になるだろうか。
手塚が不二を初めてこの場所へ誘った時から、既に一年ぐらいの月日が流れている。
「あの日から、もうそんなに経つんだな...」
日の沈んだテニスコートを後にして、二人はロッカールームで着替えていた。
着替えをしながら手塚はそんな風に感慨深気に思い、思わず声にだしていた。
「君とここで初めて練習試合をした時からって事?」
手塚の呟きを聞いていた不二が、手塚の方を見上げる様にしてそう聞いた。
一年前はそれほど変わらなかった二人の身長。それが今では10?ぐらいの差がついている。
あの時は友達と言っていいのかどうかもあやふやだった二人の関係。
手塚の方を見ながら、現在同じ事を姉に聞かれたら、間違いなく友達だと言うだろうと、
その当時の事を思い出しながら不二は思った。
「そうだ...」
不二の問いに答えた手塚は、慌てて視線を反らせた。
ボタンが外れたままのシャツから覗く白い肌。
「手塚...?」
どこか落ち着かない様子の手塚を訝しんで、不二は問うように手塚を見る。
「さっさとシャツのボタンを止めろ」
不二の方を見ないまま、手塚はそう言った。自分の感情を押し殺して。
それは気付いてはいけない感情。一年前からずっと、心の奥底に封印し続けてきたものだ。
「うん。ねぇ、手塚。今日家に来ない?」
手塚の心情等知らず、不二は無邪気にそう誘った。今までにない行動。何もこんな時にと
手塚は困惑する。手塚が不二の家に上がった事もなければ、その逆もなかった。
こんな風に自宅に誘われる等、初めての事。
「それは...」
手塚は返答に迷った。
「明日は学校も休みだし、ね?」
そんな手塚の迷いを打ち消すかのように、不二が言う。断る理由を見つけられないまま、
手塚はその日初めて不二の家に寄る事になった。
★ ★ ★
「あなたが手塚君ね。初めまして、周助の姉の由美子です」
不二の家に着くと、二人を由美子が出迎えた。
「初めまして、手塚です」
手塚も型通りの挨拶を返す。
「明日は学校もお休みだし、良かったらゆっくりしていってね」
「...有難うございます」
「そうだわ、手塚君も夕食を一緒にいかが?」
部活の後寄り道をしてきた後なので、友人の家を訪ねるには遅い時間になっていた。
由美子が手塚を誘ったのも、不二の家の夕食時がそろそろ近いからなのだろうと思われる。
「いえ、ご迷惑ですので...」
やはり寄るのではなかった。そんな風に思いながら、手塚はその申し出を断った。
時間の事は、手塚も気になってはいたのだ。
「どうしても駄目かしら?手塚君とは一度ゆっくりとお話してみたかったんだけど...」
諦めきれないように、由美子が手塚に言う。そこまで言われると断りきる事が出来ず、
手塚は結局その好意に甘える事になった。自宅にはその事を伝えるために電話で
連絡を入れる。夕食をご馳走になるかどうかは別としても、帰りが遅くなる旨を
連絡しておいた方がいいだろう。
すぐに支度が出来るからと、電話をした後、キッチンの方へ通される。
促されるままにテーブルにつく手塚。
「姉さん、裕太は?」
手塚に続いて、不二も席についた。
「少し前に連絡があったわ。今日はお友達の家に泊まるから帰らないそうよ」
キッチンで母親の手伝いをしながら、由美子は不二の質問に答えた。
「そう......」
その様子を見ていた手塚は、不二の表情が一瞬曇ったのを見逃さなかった。
けれどそれを気にしている時間はなかった。その後すぐにテーブルに器に盛られた
料理が運ばれて来て、夕食の時間となったからだ。料理を運び終わった由美子と、
不二の母親も席に着く。
「手塚君ね?初めまして、周助がいつもお世話になっています」
「こちらこそ、周助君にはいつもお世話になっています」
いつも名字で呼んでいるので、名前の方は呼び慣れていない。たかだかそんな事が、
何だか不思議な感じがした。
手塚が挨拶を返すと、不二の母はにっこりと笑った。その笑顔が不二と似ていると
手塚は思った。笑顔だけでなく、不二は母親似だと手塚は思う。その日の晩餐は、
手塚に今まで知らなかった不二の一面を見せてくれた。和食の多い手塚の家とは
違い、不二の家は洋食が多いようだ。そして、お姉さんと仲がいいらしい事。
今日この席にいない不二の弟の事はよく知らない。同じ青学に通っていて、
テニスをやっているようなのに、テニス部には所属していない。その事はいつだったか
誰かが話しているのが耳に入って知っていた。何故テニス部に入らないのかと、
噂になっていたのだ。けれど、それ以上の事は知らない。
「あら、もうこんな時間なのね」
不意に時計を見た由美子が声を上げた。つられて手塚も腕時計を見て時間を
確認する。自国は8時を回っていた。
「すいません、長居をしてしまって」
手塚がそう言って席を立つ。
食後の話が弾んでしまい、なかなか席を離れる事が出来なかったのだ。
と言っても手塚はほとんど相槌を打っていただけなのだが。
「手塚君、待って」
帰ろうとする手塚を引き止める様に、由美子が声をかけた。
「姉さん?」
「こんな時間になってしまったし、良かったら泊まっていってちょうだい。
明日はお休みだし、着替えは周助から借りればいいでしょ?」
「それは...」
突然の思いがけない申し出に、手塚は答えに窮して不二の方を見る。
「そうだね、姉さんもああ言っている事だし、手塚さえ良ければ...」
不二にまでそう言われると、手塚はまたも断りにくくなってしまい、
もう一度自宅へ電話をする事になった。