「あぁ、そうだな...」

テヅカが部屋を出た後、エイジとオオイシはほっとしたように顔を見合わせてそう言った。テヅカが帰って来るのがもう少し遅かったら、そう思うと冷や汗が出る思いだった。侍従長がテヅカを呼びに来るのがもう少し早かったら、二人はとてもその不在を誤魔化せなかっただろう。　　　　　
　二人は、彼の不在中に何事もなくて良かったと、その幸運に感謝した。

あからさまにほっとした様子の二人に、フジは声をかける事が出来ずにいた。今の様な事態がテヅカの不在寺に起こったらと、この数日間落ち着かない思いをしていたのだろう二人の苦労が伺えたからだ。

その原因を作ったのが自分の行動だとわかっているだけに、何も言葉にする事が出来なかった。二人に迷惑をかけようと思って城を出たわけではないし、テヅカがフジを探す為に城を出奔したのは想定外の事。

それでも二人がこの数日感じていた不安に対して、自分に責任がないとは言えなかった。

黙っているフジの様子には気付かずに、エイジと大石はこの後どうするのかを話し合っている。

「テヅカは王様に呼ばれて行っちゃったけど、オオイシはこれからどうするにゃ？」

テヅカが帰ってきた以上、二人がこの部屋にいる必要はなくなったのだ。

「神殿に顔を出そうと思っている。最近奉仕作業をサボっていたから、いい加減顔を出しておかないと」

オオイシは苦笑してそう言った。

神殿に祭司として仕えているオオイシは、修行の一環として神殿の様々な奉仕活動に参加している。ところがこお数日間、テヅカの部屋に籠りきりだった為、そう言った活動にも全く参加出来なかった。参加出来なかったからと言ってとがめがあるわけではないが、自分の気持ちの問題もあるのだろう。オオイシは根が真面目な人間だ。ここ暫く奉仕活動を全くしていない事に、どこか引け目を感じているのかもしれない。

「それじゃあ、テヅカが戻って来たら神殿に行くの？」

「いや、待たずに行くよ。テヅカが戻って来たら、呼び出された理由がなんだったのかを聞いて知らせに来てくれないか？俺も気になるし」

「わかったにゃ」

オオイシに向かってエイジは笑顔でそう返事を返した。

呼吸を整えてから、意を決したようにオオイシは部屋を出て行く。エイジとフジは、テヅカを見送った時と同じ様に、オオイシの背中を黙って見送った。

「エイジは、まだ、ここにいてもいいの？」

テヅカの帰りを待たずに部屋を出て行ったオオイシと違い、エイジはのんびりと寛いでいる。一人でなれない部屋に残されるより、エイジが側にいてくれた方がフジも心強い。けれど、彼にもオオイシの様に用事があるのなら、引き止めてはいけないとも思っている。

「うん。俺はオオイシみたいに神殿とかどこかに仕えているわけじゃないから、絶対にどこかに顔を出さないといけないって事もないしね」

慌てずに寛いでいる理由を、エイジはあっさりとそう片付けた。

「そうなの？」

「うん」

「オオイシは、神殿に仕えて長いの？」

テヅカが戻って来るのを待たずに神殿に戻ったオオイシの様子を思い起こして、不二はそう疑問を口にした。考えてみれば、オオイシの事もエイジの事も詳しい事は全く知らなかった。

聞けば自分の事も言わなければならなくなるかもしれないと言う杞憂が有り、どこかでその事を避けていた部分もある。

「うん、長いよ。オオイシは子供の頃から神殿の長を務める伯父さんの元で修行をしているんだ。いずれは伯父さんの様に、神殿の長になって、テヅカに仕えるつもりにゃんだと思う。俺は末っ子だし家督を継ぐ身じゃないから、オオイシと違って気が楽にゃんだよね」

「そうなんだ...」

屈託なく笑顔でそう言うエイジを見て、フジもその言葉に納得できるような気がした。彼の天真爛漫とも言うべき明るさは、家族に愛されている証でもあるのだろう。末っ子だからと可愛がられて育ってきた様子が見て取れるようだった。

「あっ、勿論将来テヅカに仕える事になるのは俺も同じだけどね。ところでフジは、どうやってテヅカと知り合ったの？」

「困っている所を助けてくれたんだ。それがきっかけで、テヅカの度に同行する事になって...」

フジはテヅカとの出会いを、簡潔にエイジに告げた。言いながら内心これ以上の事を聞かれるのは不味いなと思っていた。フジの素性は軽々しく明かしていいと言うものではない。その事については、この国の王からも念を押されている。目の前にいるエイジにも、当然明かす事は出来ない。

「そうにゃんだ。ねぇ、フジはどこの国の出身にゃの？プライム王国に来る事に両親は何もいわにゃかったの？」

恐れていた質問、そして悪気内エイジの質問だったが、その言葉はフジの表情に陰りを落とした。

「...僕の両親は、亡くなったんだ」

「！ゴメン、俺...」

「いいよ。悪気があって言ったんじゃないって言うのはわかっているから」

恐縮するエイジに、フジは気持ちを切り替える様に無理に笑顔を作ってみせた。その事でエイジに気を遣わせたくなかった。

「うっ、本当にゴメンにゃ」

「気にしなくていいよ」

いつも元気が取り柄のエイジだが、流石に悪い事を聞いてしまったと思ったのだろう。恐縮したように、彼は頭を項垂れた。

少しだけき不味い雰囲気が室内に流れる。

けれど、それも長くは続かなかった。

その後すぐに、テヅカが戻ってきたからだ。

「テヅカ、王様の用件はにゃんだったの？」

テヅカの姿を見るなり、エイジはそう尋ねた。

「王のと言うより、他国の使者が来ていてそれで呼ばれたんだ」

「他国の使者？」

エイジは首を傾げている。何故そんな事でテヅカが呼ばれたのだろうと思っているようだ。

「あぁ、アイスキングダム王国からの使者が来たんだ」

「アトベからの？」

それまで黙って二人の遣り取りを聞いていたフジが、そこで口を挟む。

「そうだ。俺に会う為にプライム王国を訪ねたいと言う申し出があった」

テヅカは、意図的にはっきりとそう言葉にした。

「ねぇ、にゃんでアイスキングダム王国の王様がテヅカを訪ねてくるの？フジがにゃんで王様の名前を呼び捨てにするの？」

二人の会話を聞いたエイジは、ますますどう言う事なのかわからないと言わんばかりに首を傾げている。今までに付き合いのなかった国の王が、突然テヅカを訪ねて来ると言う申し出も、フジがその王の事を親し気に呼ぶ様子も、事情を知らないエイジには理解し難い事だった。

「アイスキングダム王国のアトベ王とフジは、俺やお前達と似た様な関係なんだ」

目を丸くするエイジに、テヅカは肝心なところはぼかして曖昧にだが、一応の事実を語った。

「そうにゃの？」

「あぁ、だからアトベ王は表向きは俺に会う為にこの国を訪ねたいと申し出ているが、実際はフジに会う為に足を運びたいと、そう言うことなんだろうと思う」

「それで、テヅカはその申し出を受けたの？」

好奇心一杯に聞いてくるエイジに、テヅカは苦笑して見せた。

「一国の王の申し出だ。それに、断る理由もないし受ける事にした」

「えぇっ！それじゃあ、アイスキングダム王国の王様が、フジに会う為に、この国を訪ねてくるんだ。フジ、良かったね」

エイジの頭からは、完全に先程の事は消し飛んでしまっている。テヅカから仕入れた新たな情報に、頭がすっかり捕われてしまっているのだ。それに知りたかったフジの素性に繋がる情報を、テヅカは与えてくれた。

「...うん」

突然エイジに話を振られて、フジは曖昧に頷いた。

「オオイシは、どうした？神殿か？」

テヅカが尋ねると、エイジはそれを肯定するように頷いた。

「うん。俺、オオイシにこの事を知らせてくる」

エイジはそう言うと、部屋を飛び出していった。その慌ただしい様子を見送りながら、フジはテヅカに視線を向けた。

「テヅカ、何を考えているの？」

フジは感じていた疑問を口に出していた。先程のエイジとテヅカの会話をほとんど聞いているだけだったフジは、その様子に違和感を感じていた。まるでエイジに言い聞かせる様に、フジとアトベの関係を告げたテヅカ。嘘を言ったわけではないが、そこに何か含みがあるように、フジは感じたのだ。いつものテヅカらしくないと、まだ付き合いは短いけれど、そんな風に感じた。

「お前の事で」

「うん？」

「今回のアトベ王の訪問を利用しようと思っている」

最初から隠すつもりもないのだろう、テヅカはあっさりとそう告白した。

「利用って...」

「アトベ王には、お前の身元保証人として皆の矢面に立ってもらう」

アトベの申し出を受けたのは、そう言った理由もあったからだとテヅカは言う。

「君って、そんな事が考えられる人だったんだ...」

他人を利用すると堂々と宣言するテヅカに、不二は思わず苦笑してしまった。まっすぐな性格で、曲がった事が嫌いなテヅカ。　　　　　　　　　
　そんな彼の事は、旅の間一緒にいる間ずっと見てきた。あまりにもまっすぐすぎて、不器用にすら思えた。

「必要とあらば、な...」

テヅカはこともなげにそう言った。やり方が好きか嫌いかと言う個人の見解はさておき、そう言う情報操作をする必要がある時には迷わず行うと。

「それでわかったよ。だからエイジに僕とアトベの関係を、自分達の関係と似た様なものだって、ぼかしながらも強調して言ったんだね？」

「全くの嘘と言うわけでもないだろう？」

「それは、そうだけど。何かエイジを騙しているみたいで...」

自分に好意を寄せてくれているエイジに嘘をつく事を、フジは心苦しく感じていた。それはテヅカも同じだ。今頃エイジの口から、フジとアトベの関係はオオイシにも伝わっているだろう。テヅカの思惑通りに。　　　　　テヅカとて幼馴染みの二人を騙す様な真似を、すすんでしたいと思っているわけではない。それでもやらなければならない。決めた以上今さら引く事は出来ないのだ。

「仕方がないのはわかっているだろう？本当の事を言うわけにはいかない以上、何か行動を起こす必要がある」

「わかっている。これでいいのかなって気もするけれど、君の言う様に本当の事は言えないしね。エイジは君の言葉を聞いてどう思ったのかな...？」

この時期アトベからの申し出は想定外の事だったが、テヅカがそれを利用しようとした理由もフジにはわかっている。全て自分の為であると言う事も。先程エイジにも聞かれた様に、今後、フジの素性を知ろうと、この城の人々は様々な質問を不二に浴びせてくるだろう。それはこの城に止まる事を決めた以上、避けられない事なのだ。

「お前の事を、アイスキングダム王国の貴族の出身で、アトベ王の幼馴染みだと思っただろう。その事は今頃オオイシの耳のも入っていて、噂は城内に広がっていくはずだ」

「そんなに上手く事が運ぶかな...？」

「運ぶさ、その為の布石は作る。明日には城内にその噂が広がっているはずだ」

自信たっぷりにテヅカが言う。

テヅカの予告通り、城内にその事が広まるのにそう時間はかからなかった。

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