3

プライム王国城内の一室。数日前まで使われていなかったその部屋には、
現在生活するのに必要な家財道具等が運び込まれている。家財道具が運び込まれた
のは急な事だったが、俄仕立てとは思えない程、置かれた品々はシンプルな
デザインながら良い品物ばかりだ。

数日前からその部屋の主となったフジは、机の前に座り書物を読んでいた。

部屋に備えられた机の上に置かれた書物と、二つのリング。それは魔の森の遺跡から
フジが持ち出した物。まだ研究途中のそのリングの効力を調べる為、フジは書物を捲り
その記述を解読していた。解読を終えるのに元々決められた期日があるわけではないので、
ゆっくりと時間をかけて調べる事が出来る。手が空いた時のいい時間つぶしになっていた。

ドアをノックする音がする。

調べものに没頭していたフジの耳に微かに届く音。訪ねて来たのが誰なのかは
、ドアを開ける前からわかっていた。夜にフジの元を訪れる人物は一人しかいない。

「テヅカ」

ドアを開けたフジは、そこにあるべき姿を見付けて微笑んだ。

「入ってもいいか？」

「どうぞ」

律儀に断りを入れてくるテヅカに、フジは苦笑しつつそう答えた。自分達の立場を考えれば、
テヅカはもっと強い態度をとっても良いのだ。　　　　
フジはテヅカの想い人としてこの城に存在している。テヅカはフジの部屋に
強引に入る事を許される身。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　権力を盾にそうしないのは、フジの事を想う気持ちがあるからなのだろう。
部屋に入る前に、テヅカはいつもフジの許しを得てからでないと入ろうとはしない。

「研究の邪魔をしてしまったか？」

机の上に広げられた書物を見て、テヅカはフジにそう聞いた。フジは首を軽く横に振る。

「片付けようと思っていたところだから」

そう言ってフジはにっこりと笑った。その後、書物を本棚に戻す。出したままにしておくと、
テヅカが研究の邪魔をしたと気にするのではないかと思ったから。

「フジ...」

「何？テヅカ」

「ここでの暮らしに、何か不自由な事とかはないか？」

「何ないよ？皆親切にしてくれるし」

それは本当の事だったので、フジはテヅカを安心させる為にもきっぱりと言った。
城に戻った翌日から、城内を一人で歩いたりもしているが、誰かに失礼な態度を
取られた事もない。テヅカが心配する様な事を感じた事はなかった。唯一の難点は、
いく先々で注目を集めてしまう事だが、これも今の状態では仕方がないと思っている。

テヅカが流したフジの素性に関する偽りの情報の効果もあって、どこへ行っても
ある程度の好奇の視線を向けられてしまうのだと。

テヅカが巧妙に流したフジに関する噂は、本人が予想した通りの勢いで城内に広がっていた。

フジが先々で氷魚t日との視線を集めてしまうのには他にも理由があったが、
本人はその事に気付いていなかった。

最初は自分に集まる視線を煩わしいと思っていても、慣れてくるとあまり気にせずに
いられるようになってくる。その辺りの事をフジはそう割り切っていた。

「そうか」

フジの返事を聞いたテヅカは、どこかほっとしたようにそう呟いていた。自分はともかく、
城内に広まっている噂の所為で、フジがこの城で居心地の悪い思いをしているのでは
ないかと気になっていたのだ。今までに浮いた噂のなかったテヅカが想い人を連れて
来たと言う事で、城内の人々の興味はフジに集まってしまっている。テヅカの流した素性に
関する噂が早々に広まったのも、そう言った関心が集まっていた為だ。

「ねぇ、テヅカ。毎日無理をして、この部屋を訪れてくれなくてもいいんだよ？」

毎日欠かさずに自分の元へ顔を出すテヅカに、不二は伺う様にそう言った。
フジがこの部屋へ移ったのは、テヅカと共に城に戻った日の翌々日の事だった。

城に戻った翌日、テヅカは侍従長にフジの為に城内に部屋を用意する様に指示した
。いつまでもテヅカの部屋に居候と言うわけにもいかないだろうおt言う配慮からだ。
フジをプライム王国に誘った時から、いずれそうするつもりだった。

テヅカからそう言う指示が出る事は薄々予想していたのだろう、指示を受けた後の
侍従長の行動は素早かった。指示が出されたその日のうちに、フジの為の部屋が用意された。
テヅカの部屋からそう遠くない場所に用意された部屋、そこにはテヅカが通いやすい様にと
言う配慮がなされている。

この数日間、フジはそこで一日の大半を過ごしている。テヅカはこの城の跡継ぎで、
戻った翌日からは日々忙しく過ごしているので、フジと共にいる事は出来ない。
忙しい理由には、数日前からフジを探しにこっそりと城を抜け出していた期間中の事も
関係している。実際には城にいなかったテヅカだが、城内ではフジとずっと一緒にいたことに
なっていた。その間休んでいた付けとして、この数日間、テヅカは日々忙しく過ごしている。　　
プライム王国の跡継ぎであるテヅカには、するべき事が多く有る。この数日間の事が
なかったとしても、忙しい身である事に変わりはない。　　　　
のんびりとしている暇はなかった。

テヅカが日々忙しく過ごしているので、昼間二人がまともに顔を合わせられるのは、
食事の時くらいだ。

夜になり全てが終わり落ち着いた頃に、テヅカはフジの部屋を訪れる。

それが自分の義務であるかの様に。

毎日夜になるとフジの元を訪れるものの、テヅカはほんの僅かな時間訪問するだけで、
すぐに自分お部屋へ戻って行く。

フジとしては、疲れているだろうテヅカに無理をしてまで自分の部屋を訪れて欲しいと
は思っていない。勿論テヅカがわざわざ会いに来てくれる事は嬉しいと思うのだが、
それよりも彼の体が心配だった。

テヅカは長旅から帰った後、またすぐにフジを探すために数日間城を出ていた。
その為実際にはここ暫くゆっくりと休みを取れてはいない。

帰ってすぐにアイスキングダム王国からの使者の訪問。二日後に迫ったアトベの
訪問に対しても、ここ数日準備に色々と動いているはずだ。

テヅカが毎夜顔を見せてもすぐに部屋を出て行く理由を、日々の忙しさから疲れている為だと
フジは思っていた。テヅカの負担を減らす為に何か手伝いたいと不二は思うのだが、
今の状態では何もする事が出来ない。　　　
今のフジの立場は微妙なものだ。外出を禁止されているわけでもないし、
無理を言えばテヅカの側にいて何か手伝えるかもしれない。けれど、それはかえってテヅカの
評価をも落とす事になりかねない事をフジは知っていた。今そう言う事をすれば、城内の人々の
目には、テヅカが想い人の我侭を許して側に置いているとしか映らないだろう。

この城の人達は、フジの素性を知らない。今までに一国の跡継ぎとして受けていた教育から
得た知識や見識の深さも、魔術師てしての実力も。

彼等とってフジは、ただのテヅカの想い人。それだけの存在でしかないのだ。

「別に無理などしていない」

自分を気遣うフジの言葉に、テヅカはきっぱりとそう答えた。

「そう？それならいいんだけどね。ねぇ、お茶を飲まない？」

頑なテヅカに、フジは苦笑してそう提案した。そして、この話はここで切る事にする。
この分では何度無理をして顔を出さなくて良いと言っても、テヅカは聞き入れないだろうと
思ったからだ。彼の体が心配だったが、大丈夫だと本人が言う以上、放っておくしか
なさそうだとフジは思った。

「あぁ、頂こう」

フジに勧められて、テヅカは頷いた。そして部屋の中央に有るテーブルの前に腰を下ろす。

テヅカの言葉を聞いたフジは、テーブルに置かれたカップに、用意されていたお茶を注いだ。
それは侍女が退出する前に用意していってくれたものだ。フジには今３人の侍女が付けられている。
この部屋を与えられた時に、身の回りを任せる侍女も一緒に付けられる事になったのだ。

自身が特定の側仕えの侍女を置いていないテヅカは、世話係として何人くらいを付けるのが
妥当なのか最初迷ったようだ。どこから数字を出してきたのか、１０人くらい必要かとフジに
希望を聞いてきた。そう言う事に関してプライム王国が特殊である事は自覚していたのだろう
。テヅカはその事について当事者であるフジに意見を求めたのだ。

それを聞いたフジは、そんなにはいらないと即座に首を横に振った。アドレッセント王国が
健在だった時には、身の回りの事を世話してくれる侍女が数人ついてはいた。確かに
テヅカの様に全く側仕えの侍女が付いていなかったと言うわけでもないが、そんなに
大勢付けていたと言うわけでもない。魔術の勉強の為、城の外で泊まる事もままあったので、
フジもテヅカと同じ様に自分で身の回りの事をする術は身に付けている。だからこそ国が
消失した後も、一人で旅に出る事が出来たのだ。テヅカと同じ様に、特定の側仕えの
侍女がいなくても生活のは困らない。

断ると言うのもテヅカの好意を無にする様で申し訳なかったので、大袈裟にならない
人数にして欲しいとフジは頼んだ。

フジの返答を聞いたテヅカは、侍従長に頼んで侍女を３人手配してもらった。彼女達は、
交代で競う様に、フジの身の回りの世話をしている。

新しく得た美しい主は、彼女達の自慢でもあるようだ。

「どうぞ」

テヅカにお茶を注いだカップを渡した後、フジは自分も席に着いた。

優雅にお茶を飲むフジのリラックスした様子を、テヅカはそっと見ていた。

ずっと前からこの部屋に住んでいたかのような慣れた様子に、テヅカは内心ほっと
溜め息をつく。フジは無理をして毎日顔を出さなくても良いと言うが、テヅカは別に
その事で無理をしているつもりはない。

確かに城に戻ってからは、毎日忙しい日々を送って入る。けれど、フジが心配している
様な疲れを残しているわけでもない。フジが思っている以上に、テヅカは自分の体力に
自信が有るし、実際この程度の事で根を上げたりはしない。

長居するのを避けて早々に自分の部屋に戻るのは、テヅカ自身の気持ちの問題だ。

毎夜笑顔で自分を迎えてくれるフジを、テヅカは大切にしたいと思っている。

側にいれば触れたくなるが、それはフジの体に負担をかける行為だと言う事をテヅカは
知っている。慣れない城での生活でフジの負担を増やさない為に、テヅカは戻ってから
一度もフジに触れてはいない。その事を不二がどう思っているかはわからない。
今日の口振りでは、テヅカが疲れているので、そう言う行為にも及ばないのだと思って
いるのかもしれない。　　　周囲の者達は、テヅカがフジを蜜月を過ごしているのだと
思っているだろうが、実際にはそれとは程遠い日々を送っている。テヅカがフジを抱いたのは、
初めてこの城に誘った日、一度だけだ。

「どうした？」

フジが何か問いた気な視線を向けているのに気付いたテヅカは、カップをテーブルの
上に置いてそう尋ねた。

「明日の模擬試合には、テヅカも出場するの？」

プライム王国城では、三ヶ月に一度くらいの割合で、城に仕える騎士達の模擬試合が
行われている。実力主義のこの国では、その試合で実力を示す事が出世に繋がる事もある。
テヅカの場合は出世等と言う事には無関係だが、剣の実力を磨く為の意味でも
出場することを余儀なくされている。

「あぁ、誰かに聞いたのか？」

フジに聞かれて、テヅカは明日の模擬試合に出場する事を肯定した。

「うん。エイジが今日の昼間遊びに来てくれていて、その時にね」

不二が城内に自分の部屋を与えられてから、毎日昼間にエイジは顔を見せていた。
この数日、フジはテヅカと一緒にいる時間よりも、エイジと一緒にいる時間の方が長いくらいだ。

「今日も来ていたのか」

エイジが今日も遊びに来ていたと聞いて、テヅカは微かに眉を寄せる。エイジがフジを
気遣ってくれているのを有り難いと思う気持ちと、相反する気持ちが鬩ぎあっている。
自分よりもフジといる時あkんが多いのではないかと思うと、何となく面白くないのだ。

「うん。この城に知り合いが一人もいない僕を気にしてくれているみたいだね」

「そのようだな...」

「テヅカ、眉間に皺が寄ってるよ」

フジはクスッと笑って、テヅカの眉間に指先で触れた。

城に戻った当初と違い、フジは最近笑顔を見せる事が多くなった。その表情には、城に戻った当初の様な陰りはない。

「............」

フジに指摘されて、テヅカは思わず苦笑する。自分でも知らなかった独占欲の強さ。
フジと知り合ってから、テヅカはそれまで知らなかった自分の中に有る様々な思いに気付かされる事が多くなった。

「明日、エイジと観客席から応援するね」

「あぁ...」

フジの言葉にテヅカは軽く頷いてみせた。

ここ暫くの模擬試合で、テヅカは優勝を重ねている。それでも明日の試合で、
必ず優勝してみせるなどと言う不遜な事をフジには言わない。

物事に絶対等と言う事はあり得ないからだ。テヅカは試合に臨む時、いつもそんな気持ちでいる。
まだ帰城していないので明日の試合には出ないが、弟のリョーマも剣の腕を上げてきているし、
他にも油断出来ない相手はいる。勝ち続けているからといって慢心していると、いつ抜かれるか
わからない。模擬試合とは言え、試合に臨む前はいつもそう言った緊張感がある。

「もう行くの？」

席を立ったテヅカに、フジがそう問う。

どこか名残惜し気なその様子に気を良くしたテヅカは、その額にそっと口付けると、
自分の部屋へと戻っていった。

　　　　　　　　next　　　　　小説目次へ