けれど本当に忘れたわけではない。

乾に言われた言葉は、しっかりと手塚の耳に残っている。

宿題を終えた手塚の手が、机の上に有る鉛筆立てへと向かう。手塚がそこから取り出したのは、１本の筆ペン。

『最初から燃やしてしまっておけば良かったのか...』

放課後の乾との会話を思い出しながら、手塚は一人そう呟いていた。そして一瞬でもそう思った事を振払うかの様に軽く首を振る。

不二と初めて会った時、手塚は心引かれる何かを感じた。その気持ちが恋だと自覚するのにそう時間はかからなかった。自覚したとは言っても、それを不二に告げるつもりはない。相手は同性で、同じテニス部の仲間。　　想いを打ち明けて拒絶される事が怖かったと言う気持ちが全くないと言えば嘘になる。何より自分の気持ちを告げる事で、お互い顔を会わす度に気まずくなるのも嫌だった。手塚は不二のテニスの才能を高く買っている。下手に告白する事で、テニスの面でも不二と気まずくなる事は避けたかった。

そんな事もあって、手塚は不二を遠巻きに見る事はあっても、側による事は避けていた。好きな相手が側にいれば、自然に触れたいと思う気持ちがある。そう言う気持ちを抑える為、必要最低限しか不二と会話すらしないようにしていた。

そんな手塚の心等知る由もなく、不二は何かと手塚の周りに姿を現した。

上級生に目を付けられていた手塚は、部内で先輩達に辛く当たられる事が多かった。一人でコートの片づけを言い付けられたりなどの嫌がらせを受けたりもした。そう言う時も、不二は手塚を手伝ってくれた。不二まで先輩に怒られるかもしれないからと手塚が手伝いを断っても、彼は笑って手伝いを止めようとはしなかった。怒られてもかまわないと。

自分を思いやる気持ちが伝わってきて、それだけで十分だと思うのに、どこかでそれ以上を求める気持ちがある事も否めなかった。深い意味等ないだろうに、些細な仕草に感情が煽られたりもした。

告白をする気はないのに、日を追うごとに想いだけが大きく膨らんでいく。

その気持ちに整理をつけるつもりで、手塚は歌を綴った。

今日乾に見せられた百人一首の歌だ。

その歌を選んだのは、歌の内容が今の自分の心情と同じだと感じたから。忍んでいる切ない恋心を持て余しているところが、自分と同じだと手塚には思えたのだ。

伝える事が出来ない想い。

その気持ちを封印するつもりで、歌を綴り休日出掛けた時に手に入れた藤の花に結んだ。

出来上がったのは、最初から渡すつもりのない恋文の様な代物。渡すつもりもないのに、それを学校に、部室に持っていってしまった事を手塚は後悔していた。まさか、あれがこんなに早く人目に触れるとは思わなかった。出来上がった物を捨てる事が出来ず、つい部室のロッカーの隙間に隠してしまった。そんな所を見られる事は滅多にないし、見つかったとしてもその頃には花は枯れて、紙も変色し、ただのゴミにしか見えなくなっているだろうと思った。

実際花は既に枯れ、ゴミとして捨てられていてもおかしくない様相をしていた。中を開いて見たところで、百人一首の歌が書かれているだけ。

見つかったとしても何の事だかわからないだろうと思っていたのだが、その自分の認識が甘かったのだと言う事を、手塚は今日乾に呼び出されて知った。見つかった相手が悪かったと言ってもいい。他の人ならば、歌の意味はわかったとしても、それを手塚と結びつけたりはしないだろう。

観察眼の鋭い乾だから気付けた事。自分の認識の甘さがこの事態を招いたのだと言う事は自覚している。けれど、あの時はそれを完全に無くす事など考えられなかった。それがあるからこそ、自分の気持ちを抑えられる。そんなある種の安定剤として、あの恋文の存在を形で残しておく必要があったのだ。

だから、自分で捨てる事も燃やす事も出来なかった。

手塚は部屋の電気を消した。

ベッドに横になってみたところで、歯止めを失ったこの想いの行方を思い描く事は出来なかった。

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