不二が自宅へ帰ると、姉の由美子が出迎えてくれた。
         
 「ただいま...」
                          
 「お帰りなさい。周助、昼食は?」
                 
 「まだだけど」 
                         
 「だったら、今から周助の分も用意するわ」 
            
 「ありがとう、姉さん」
                       
そう言って玄関で靴を脱いで上がると、由美子はゆっくりと不二の方へと近付いて来た。
どうしたのかと思い、不二が由美子を見ると、由美子は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
そして、わけがわからずに首を傾げている不二の方に手を伸ばし、外されているシャツのボタンを止めた。
    
 「姉さん?」 
                           
姉のするがままに任せていたが、何故こんな事をするのだろうと思い疑問を投げかけた。

「そんな色っぽい跡を残している時は、シャツのボタンくらい止めておきなさい」 
                            
 「何の話?」
                           
 「あら隠さなくてもいいわよ、うるさい事を言うつもりはないから」
  
 由美子はクスッと笑ってそう言った。
                
 「............」
                           
 「母さんには、内緒にしておいてあげる。その代わり昼食の後、買い物に付き合ってね」                          
 何が何だかよくwからないまま、不二は午後から荷物係になる事を由美子に
約束させられたのだった。昼食後、後片付けが終わるとすぐに、
約束の買い物へと付き合った。慌ただしく出掛けたため、姉に言われた事を
確かめている暇がなく、何となくその事を忘れかけていた。
         
 夜お風呂に入る時にシャツのボタンを外していて、何気なくその事を思い出した。
そして、シャツを脱いで洗面台の上にある鏡をみると、鎖骨の辺りにはうっすらと
赤い跡が残っていた。
               
 「これは.....」
                            
由美子が言っていたのはこれの事だと、赤い跡が残る辺りに手を触れながらそう思った。
これは俗に言うキスマークと言うものだろうかと、鏡を見ながらじっとそれを凝視する。
全く記憶にないのだが、これを付けた相手が誰かと言う事はわかる。それは、わかるのだが...。
         
 不二はじっと鏡を見ながら、暫くその場を動けずにいた。


いつも通りの学校の風景。その日は青空の広がる暑い日だった。
    
 「あのさ、どうしたの今日は?」 
                  
教室に入って鞄を置くと、菊丸は先に来ていた不二の方へきてそう聞いた。 
                              
 「何の事?」 
                          
 聞かれた事の意味がわからずに、不二は問い返した。菊丸は不二の前に指をかざした。
そして、首の辺りを指差す。
               
 「これ...。いつもは一番上のボタンを外しているのに、にゃんで今日は全部
止めているの?暑くにゃい?」 
                  
この暑い日に、いつもは外されているシャツのボタンが、全部止まっている事が
気になったらしい。
                      
「あぁ、これね...。何でだと思う?」
                
 にっこりと笑って不二が言うと、菊丸は一瞬考えるように首を傾げた。 
 そして、何かを思い付いたような、悪戯な笑みを浮かべると、からかうような視線を不二に向けた。
                     
 「キスマークでも、付いていたりにゃんかして~」
          
 勿論、本気で言ったわけではない。ちょっとからかってみようと言う、軽い気持ちからそう言ったのである。                 
 「よくわかったね」
                         
 「はぁっ?」 
                           
菊丸はあっさりとそう言われて、目を丸くした。それでも、これは自分のからかいを
逆手に取った冗談だと思い、ぱたぱたと手を振った。
     
「まさか、そんな風に返されるとは思わなかったにゃ~」
         
 「そんな風にも何も、真実なんだけど。多分...」 
           
今度こそ冗談でそう返したのではないとわかって、菊丸は頭の中が一瞬真っ白になった。

「英二?」 
                           
 固まって動かなくなった菊丸の前の前で、不二は手をヒラヒラと動かした。
その動きにはっと我に返った菊丸は、不二の顔をじっと見つめた。 
 「あのさ...。詳しい話、後で聞かせてくれる?」 
           
菊丸がそう言うと、不二はこっくりと頷いた。確かに朝の教室で話す内容としては
、不適切である。その事については、不二も親友である菊丸に聞いてみたい事もあった
。かくして二人は、お昼休みに屋上でその事について話し合う事を約束したのだった。


昼休みの屋上。

屋上に着いた途端、辺りに人気がないのを確認した。そして大丈夫だと判断してから、
本題に入る事にした。
                 
 「これ......」 
                            
不二はシャツの一番上のボタンを外して、菊丸にそれを見せた。
     
その白い肌に残る生々しい跡に、菊丸は顔を赤くした。見せなくても話は出来るだろうに、
何故わざわざ自分に見せるのかと、抗議の視線を向ける菊丸だった。そんな菊丸を、
更にどん底に突き落とすような事を不二は言った。

「これってさ、やっぱりキスマークだと思う?」
            
 「はぁ?」 
                           
 今さら何を言い出すのかと、菊丸は思った。一瞬からかわれたのかと思い不二の方を見ると、
その表情は真剣だった。とてもからかっているとは思えない不二の様子に、
菊丸はますます何が何だかわからなくなった。
  
 「実は、よくわからないんだよね...」
                 
不二があさってな方向に視線を向けて、そう独り言のように呟いた。
それを見て、菊丸は疑問を不二に投げかけた。 
             
 「それって、どう言う意味?」
                   
 「言ったままの意味だけど...」
                    
 「それがわからないんだって。不二ってば言葉が足りなさすぎ」
     
菊丸が言うと、不二は少し考える素振りをした。
           
 「それじゃあ、まず最初質問に答えて。これってキスマークだと思う?」
 「そう見えるけど...」
                       
 菊丸は、こくりと頷いた。それを見て、不二は話を続ける。
       
「やっぱり?それじゃあさ、これが本当にキスマークだとするよ。でも僕には
これをつけられた記憶が無いんだよね。付けた相手はわかっているんだけど...」                             不二は溜め息をついた。
                       
 「それって、おチビの事を言ってる?二人はそう言う関係だったんだ?」 
いつかのリョーマが不二を誘いに来た辺りから、何となくそうなのだろうかと
言う気がしないでもなかったが、これまでちゃんと確認した事はなかった。
本人たちが何も言わないので、これまで聞けなかったとも言う。

「そうなんだけど...。僕の意識が無い時に、こんな事をするのって、どう思う?」 
                            
 「どうって言われても...」
                     
 「英二は大石と付き合っているんでしょ?二人の関係ってどこまで進んでいるの?」 
                           
 「ふっ...不二!」
                          
不二の質問に菊丸は動揺した。大石と付き合っていると言う事は確かに話したが、
そう言う事を好奇心で聞かれたくはなかった。
        
 「別に二人の関係がどこまでだろうと、それは二人の問題だから聞かなくても
いいんだけど。そう言う意味じゃなくて、わからない事があるからわかるなら教えて
欲しいんだけど...」 
                
 不二がそう言うと、菊丸は明らかにほっとした表情をした。
      
 「最初から、そう言う風に言って欲しかったにゃ」 
          
 「ゴメン、言い方が悪かったみたい」 
               
 「俺に答えられる事なら何でも答えるから、初めからどう言う事なのか話して欲しいにゃ」                           
 菊丸がそう言うと、不二はぽつりぽつりと話始めた。
         
 「一昨日の事なんだけど、越前の家に泊まったんだ。その時、越前がお風呂に
入っている間に、僕の方が先に寝ちゃったんだよね。それで、その翌朝になって、
この跡が付いていたみたいなんだけど」
         
 「つまり寝ている間に、おチビがそれを付けたわけだ...」
         
 「多分ね...」 
                           
 「不二はさ、その...。それを付けられた時に、気付かずに寝てたの?」
  聞きにくい内容に口ごもりながらも、菊丸は不二にそう聞いた。不二はそれに頷いた。

「全然気が付かなかったよ。昨日家に帰った時に、姉さんに指摘されるまで
、全く気がつかなかったんだけど...」
               
 家族にそんな指摘をされるなんて、気の毒にと菊丸は思ったが、不二は
その事についてはあまり気にしていなかった。 
            
 「何となく事情はわかったけど、それで不二は何を聞きたいの?」
   
 「意識が無い間の事であっても、そう言う事をしたら、後でわかるものなのかなって思って」 
                        
 「つまり、おチビと最後の一線を越えたのかどうかがわからないから、
それを知りたいと。そう言う事なのかにゃ?」 
            
 「まぁ、そう言う事かな...」
                     
不二の言いたい事はわかったが、何て言ったらいいのだろうかと菊丸は頭を抱えた。
どう言うべきかと悩んだが、いつまでもこうしていても仕方が無いと覚悟を決めて口を開いた。
                  
 「その...。おチビの家に泊まった日の翌朝の事を、思い出して欲しいんだけど」
                               
 「うん...」 
                           
 「その時さ、自分の体がいつもと感じが違うとか、そう言う違和感は感じなかった?」
                           
 菊丸に言われた通り、その時の事を不二は思い返してみた。朝目が覚めるとリョーマが
まだ寝ていたので、先に着替えを済ませてから彼を起こした。
その時に何も違和感は感じなかった。              
 「...いつもと変わらなかったと思うけど」               
不二がそう言うと、菊丸は少しほっとしたような表情をした。他人事とは言え、
本人の意思とは関係なしにそう言う事をするのは、いかがなものかと思っていたのだ。
                        
 「だったらさ、おチビがした事は、その跡を付けた事だけだと思う」  
 菊丸がそう言うと、不二は少し眉を寄せた。            
  「それじゃあ、これって嫌がらせなのかな?」           
  「はぁ?」                             

今度は何を言い出すのかと、菊丸は目を白黒させている。       
 「あの日、越前を怒らせるような事を言っちゃったみたいなんだよね。
それで、その腹いせにそんな事をしたのかと思って...」          
 どうやら不二は真剣にそう思っているようである。菊丸はその様子に、
ただただ呆気にとられていた。                    
 「それは違うと思うにゃ。腹いせで、おチビはそんな事をしたんじゃないと思う」                              「それじゃあ、何でこんな事をしたんだと思う?」

真顔で言われて、菊丸は頭を抱えたくなった。これが自分をからかって言っているのなら、
まだマシだと思った。ところが不二は、どうやら本気で言っているようである。
こう言うところが質が悪いと、菊丸はリョーマに少し同情した。 
                           
 「何でって、わからないの?」 
                    
 「...わからないよ」  
                      
 「普通さ、そう言う事をしたいって思うのは、不二の事が好きだからでしょ。
不二はおチビとそう言う意味で付き合っているんでしょ?だったらそう言う
雰囲気になった事はないの?」 
              
付き合っているのなら当然だろうと、菊丸は不二に問いかけた。
    
 「ないと思うけど...」
                        
 「本当に?」 
                         
  菊丸は、疑わしげな視線を不二に向けた。 
              
 「多分。それにそう言う事をするのには、順番があるでしょ?」 
   
 納得できないと言った表情をして、不二がそう言った。
        
 「順番って?」  
                        
 聞いているうちに嫌な予感がしたが、ついついそう聞いてしまう菊丸だった。

「そう言う事をする前に、手を繋いだりとかから始めるものじゃないの?」 
                             
 それを聞いた瞬間、やっぱりと言う思いと、聞くんじゃなかったと言う思いが菊丸の中で入り交じった。
                   
 「それはそうだと思うけど。それで、不二はおチビと手ぐらいはつないだの?」
                              
 その言葉に、不二は首を横に振った。
                
 「それじゃあ、キスもまだ?」 
                  
 「うん...」 
                           
 「それじゃあ、そう言う事をしたいと思った事はにゃいの?」
      
菊丸の問いに不二は少し考えてから答えた。 
           
 「...わからない」
                         
 その答えに菊丸は溜め息をついた。 
                
 「もう一回確認するけど、不二は気にしているのは、おチビがどうしてそう言う事を
したのかって言う事についてだよね?」 
          
 「そうだけど...」 
                        
 「その事について、不二はおチビの事を怒っているの?」
       
 菊丸に聞かれて、不二は迷わずに答えた。
              
 「怒ってはいない。どちらかって言うと、困惑しているけど...」
    
 「それって、例えば...。本当に最後までしていたとしても、同じ事を言える?」 
                             
 不二はもう一度、自分の心の中を探ってみた。もしも実際そうなっていた場合は、
どうだっただろうかと。そしてその答えはすぐに出た。
    
 「うん...。やっぱり怒りはしないと思う」 
              
 「だったらさ、おチビとちゃんと話をしなよ」
             
 「英二?」
                             
 「何でこんな事をしたのかって聞いてみればいいにゃ。本人に聞くのが一番てっとり早いし」

菊丸はそう言って不二の背中を押した。恋愛事情は人それぞれである。 
 どうやら菊丸にこれ以上この事を聞いても無駄らしいと、その態度から不二は悟った。
確かに菊丸の言う通り、最終的にはリョーマに聞くつもりでいたのだ。 
                           
 「話を聞いてくれてありがとう英二。そうしてみるよ...」
       

 不二がそう言うと、菊丸は頷いた。そろそろ教室に戻らないと、お昼休みが終わってしまう。不二は開けたシャツの襟元を正すと、菊丸と共に教室へと戻った。

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