「何だったんだ、いったい...」  
                  
その場に一人取り残された大石は、突然の事態についていけず、呆然とそう呟いた。色々とお店を回っているうちに、いつの間にか皆とはぐれてしまっていた事に気付き、探しまわってようやく出会えたと思ったら、わけのわからないまま置き去りにされてしまったのである。        
 しかし、このままいつまでもここに突っ立っていても仕方が無い。    
そう思い大石は、取りあえず手塚のいる方に向かって歩き出した。

手塚は困っていた。元来無表情な彼の表情は、他人から見ればいつもとかわらないように見えるかもしれないが、内心ではどうにかしてくれと言った心境だった。皆とはぐれた事に気付き、探しに行こうとしたまでは良かったのだが、その後見ず知らずの女性から声をかけられて思わず返事をしてしまったのがまずかった。
                    
『ご旅行ですか?』
                         
と聞かれたので、ついそうですと答えてしまったのだ。その後は誰と来ているのかとか、良かったら一緒に回らないか等と言われ、その女性とその友達であろう人たちに囲まれてしまったのである。           
持てるわりには、手塚はこう言った状況に対して、不器用であった。だから、本当はさっさとこの場を立ち去りたいと思っているのに、それができずにいる。それもそのはずで、学校では手塚の近寄りがたい雰囲気に、直接当たって碎けようと言う女性徒は少なく、皆せいぜい遠巻きに見ているのがせいっぱいと言った感じである。だから、手塚は持てるわりには、誰かに告白されたと言う回数は少ない。また、告白した勇気のある人たちにしても、最初から受けてもらえる可能性が低いと諦めているのか、しつこくつきまとうような事はしなかった。
                 
だから、先ほどから何度断ってもしつこく食い下がってくる彼女らを手塚は持て余していた。                        
 話かけられているうちに、自分も彼女らと同じくらいの年齢にみられているのだろうかと言う事に気付いた。ここで、中学生だと言えば解放してもられるだろうか?手塚がそんな風に考えた時。
            
 「お~い」 
                           
 声のする方を見ると、大石がこちらに向かってくるのが目に入った。  
 「すいません、連れが来たようですので失礼します」
         
 これ以上、彼女たちに何かを言われないうちにと、手塚はさっさと大石の方に向かって歩き出した。                     
 「大石、お前だけか?」                       
そこに菊丸と不二の姿が無い事に気付いて、手塚は大石にそう訪ねた。
  「あぁ、英二たちは行きたい所があるからって、どこかへ行ってしまったんだ...。先に別荘に帰っていていてくれと言われ...まだ帰ってこないのか。いたいどこで何をしているんだ...」    
 窓辺で腕を組んで立ったまま、手塚は帰宅の遅い二人の姿が見えるのを待っていた。                           
 「確かに、少し遅いような気がするな...」 
             
 そう言って、大石も窓辺に歩み寄った。二人と別れて帰ってきてから、随分と時間が経っている。どこかへ行ったのかは知らないが、そろそろ帰宅しても良い頃である。
                       
 「あれ...、英二じゃないか?」
                    
走ってくる人影が見えて、大石はそう呟いた。手塚もそちらに視線をやり、それを確認する。そして、待ちくたびれていた二人は、出迎えるために玄関へと向かった。ドアを開けると、こちらへ向かって走ってくる菊丸の姿がはっきりと確認できた。けれど、もう一人の...。不二の姿は見当たらない。
                             
 「英二、一人なのか?」  
                    
 「不二はどうした?一緒にいたんじゃないのか?」 
          
息を切らす菊丸に、二人が矢継ぎ早に問いかける。 
         
 二人からの質問には答えずに、菊丸はまだ整わない呼吸を何とかこられて叫んだ。                             
 「救急車を呼んで!早く!...」 
                   
その菊丸のただならぬ様子に、手塚は言われるままに電話の元へ走った。


「...ここは」 
                          
 「不二~、良かった気が付いて...」
                  
ベッドの脇から菊丸が、心配そうにそこに横たわる不二の顔を覗き込んだ。不二が意識を失った後、とにかく急いで別荘まで走った。      
不二が救急車で運ばれる時に、菊丸も付き添いとして一緒に乗り込んだ。 その後、どこの病院に運ばれたのかを大石たちに連絡して、二人は後からすぐにタクシーで病院まで駆け付けてきたのだ。その間に不二の診察は終わっていたのだが、ずっと目を覚まさないままだった。ようやく不二が目を開けるのを見た時、菊丸は本当に良かったとほっとしたのだ。しかし、そんな菊丸の気持ちを裏切るかのように、不二は不信そうな視線を菊丸に向けた。 
                            
 「...誰?」  
                          
 「にゃにを言って...」 
                      
 冗談を言っているのかと言おうとした菊丸の言葉が、途中で止まる。とまどうように、辺りを伺う不二の様子に何かただならぬものを感じた。  
 「先生を呼んでくる」 
                       
大石が慌てて病室を出て行く。室内は何とも言えない雰囲気に包まれていた。大石が先生を連れて戻ってくるまでの時間がやけに長く感じられる。実際は、そんなに時間はかかっていないのだろうが。しばらくすると、医師と看護婦を伴って大石が病室に戻ってきた。            

そして問診が始まる。

「気分は?どこか痛いところはありませんか?」
           
 「...気分は悪くないです。腕とか全身が微かに痛みますけど...」 
   
 「頭は大丈夫ですか?」 
                      
 「...少し痛むかも...」
                       
 そんな問診を繰り返した後、医師はとある質問を口にした。  
    
 「自分の名前を言ってみてください」
               
  「僕は...」 
                           
 自分の名前を言おうとして、不二は愕然とした。自分の名前が出てこないのだ。                              
 「...先生」 
                           
 自分自身に対する不安から、不二は縋るような視線を医師に向けた。 
  「一時的なものだと思いますが...」  
                
『記憶喪失』と言う言葉が、全員の脳裏に浮かんだ。
        
  「あの...、一時的なと言う事は、それはすぐに治るんでしょうか?」  
 大石が控えめに医師に尋ねた。医師はその質問に首を横に振った。   
 「すぐに戻るかもしれないし、少し時間がかかるかもしれない。それは、はっきりとは言えません。ところで、この子の家族は?」       
 「自分達だけで、こちらに旅行に来ている最中なんです。家族は東京にいます」                              
 「だったらすぐに連絡して、家族の方に来てもらってください。外傷の方はたいした事はないですが...」                    
「わかりました、連絡してきます」
                
 そう言って、大石は病室を出て、公衆電話を探した。
          
「君も怪我をしているのね。お友達が心配なのはわかるけど、大丈夫だから...。先にあちらであなたも手当をしてきたら?」          
 看護婦さんが、菊丸の腕に付いた切り傷に気付いてそう言った。菊丸も転んだ時に、かすり傷などの軽傷を負っていたのだ。 
         
 血が乾いて、固まったままになっている。手当と言う程のものでもないが、傷口を洗い流して、消毒をしておくことぐらいはしておいた方がいいだろう。看護婦さんの言葉に、菊丸は頷いた。
            
 「それじゃあ、ちょっと行ってくるね...」 
              
大石に続いて、菊丸も病室を出て行く。後には、医師と看護婦。そして手塚と不二の4人が残された。                    
 「ご家族の方が見えられたら、また呼びにきてくれるかな?」
     
 医師が手塚にそう言った。患者は不二一人ではない、ずっとここにいるわけにはいかないのだ。                       
 「...わかりました」
                        
 「それから、あの子に出来るだけ色々な事を話しかけてみてくれないかな?何かのきっかけで記憶が戻るかもしれない」           
 医師の言葉に手塚は頷いた。病室から医師と看護婦も姿を消し、中には手塚と不二の二人だけが残された。                  
 「あの.....」 
                          
 「何だ?」 
                            
「僕の名前、フジって言うの?さっき出て行った子に、そう呼ばれたみたいな気がしたけど...」                       
 「あぁ......」 
                           
手塚はポケットの中を探ると、持っていた手帳のメモの頁を開き、こう言う字だと書いてやる。それを見た不二は、君の名前はと聞いていた。  
 その言葉に手塚は複雑な心境に陥っていた。
             
 自分の事を忘れられている。その事実が、はっきりと手塚にのしかかってきた。理解しているつもりでも、実際に本人の口から聞くまでは実感が伴っていなかったのだ。

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