不二が戻って来た後、大石と菊丸はリビングにいた。ここには今、二人の姿しかない。
いつもは元気な菊丸が、どこか暗い表情をして大石を見る。     
「大石.........」                           
 「どうした英二?」                         
 「不二の記憶、早く戻るといいね...」                
 「あぁ、そうだな...」                       
 先刻、不二が戻ってきた時の様子を思い出し、大石も菊丸の言葉に相槌を打つ。帰って来た時、
不二は一人ではなかった。不二を送って来たと言う人物が一緒にいたからだ。その相手の事は、
その場にいた全員が知っていた。テニス部の試合で何度か会った事のあるライバル校の選手。 
    
皆その程度の顔見知りだと思っていた。勿論、不二ともそうだと。    
だから、二人が実は幼馴染みなのだと聞かされた時、大石はその事実に驚いた。
それは、菊丸と手塚の二人も同様だろう。            
その事を聞いた時、大石は思わず手塚の方を見てしまった。親密そうな不二と佐伯の様子に、
見ていて不安を覚えたのだ。ただの幼馴染みだと言うわりには、佐伯の態度に何か他に
あるのではないかと疑ってしまうくらい。菊丸が不二の記憶が早く戻るといいなどと言い出したのも、
同じような不安を感じたからだろうと大石は思った。             
記憶をなくしている所為とは言え、自分の恋人が目の前で他の相手と親し気にしている姿を
見て手塚はどう思ったのだろうか。そう思うと、大石は胃の痛むような思いだった。


トントン...。                            
「はい...」
                            
 ドアをノックする音に気付いて、不二はドアを開けた。そして、そこに立っている
人物の姿を見て、驚いたような表情をした。
        
 「手塚、どうしたの?」 
                     
 「入っても、良いか?」 
                     
 「うん、どうぞ...」 
                       
 不二は手塚を部屋の中へと招き入れた。そして、椅子代わりにベッドに座る様に勧める。 
                         
 「済まなかった...」 
            
           
 「えっ、何が...?」 
                       
 突然謝られた事の意味がわからずに、不二は手塚の方を見た。
     
 「菊丸に言われたんだ...」 
                    
 「英二に?何を?」 
                      
  「お前が、俺に嫌われているんじゃないかと悩んでいるようだと...」 
  手塚に言われて、不二は昼間の事を思い出していた。そして、手塚を避けるように、
昼間自分が飛び出した事を手塚が気にして、今ここへ来てくれたのだと言う事を察した。
                      
「それで、わざわざ謝りにきてくれたんだ...」 
            
手塚が自分の事を気にしてくれた、その事が嬉しくて不二は何となく浮かれた気分になったのだが。                     
 「お前の事を避けていたのは本当だからな」
             
 次に言われた手塚の言葉に、不二の胸は先程とは裏腹に痛んだ。手塚はやはり自分の
事が嫌いなんだろうかと、そう思うと気分が落ち込んでいくようだった。
そんな不二の心情など知る由もなく手塚が言葉を続ける。  
 「俺は、他人に話しかけるのは、あまり得意じゃない」        
 「...............」                           
 「お前が記憶をなくしてからは、どう接したらいいのかわからなかった。今もわからない...」                        
 「僕の事が嫌いだから、避けていたんじゃないの?」 
         「違う!...。


「大石~、手塚の様子はどうだった?」 
               
部屋で大石が来るのを待っていた菊丸は、ドアが開くか開かないかのところでそう聞いていた。          
              
「部屋で宿題をしていたよ。それなら俺たちと一緒にやろうと言ったんだけど、断られてね...」
                       
 それ以上誘う事は出来なかったと大石は言った。それを聞いた菊丸は不満そうに口を尖らせていた。                      
「こんな時によく一人で宿題なんてやってられるにゃ~?俺なら気になって集中できそうににゃいんだけど...」
                
 テーブルに広げた問題集もそのままに、菊丸はベッドの上にごろんと横になった。
                             
 「英二が気にしても仕方ないだろ?行くって決めたのは不二なんだし」
  
そんな菊丸を宥める様に大石が言った。
                
「それは、そうにゃんだけど...」 
                 
 ハァッと溜め息をつきながら、菊丸は大石の言葉に同意する。昨日、手塚が不二の部屋を
訪れていた時に鳴った電話のベル。それは佐伯からのものだった。電話の内容は、本日一緒に
出かけようと言う不二への誘い。   
そして、不二は佐伯と一緒に出掛けてしまった。
           
 「俺たちと居るより、幼馴染みと一緒にいた方が楽しいのかにゃ...?」 
 自分達がいるのに、佐伯と出掛ける事を選んだ不二の態度に、菊丸は一抹の寂しさを感じている。
そんな菊丸の側に寄って、大石は菊丸の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
                          
「そんな風に考えるなんて、英二らしくないぞ」
           
 「大石~」                            
 菊丸は身を起こすと大石に抱きついた。その背中を大石がポンポンと軽く叩く。親友を取られたようで
不機嫌になっている菊丸を宥めながら、大石は不二の記憶が早く戻る事をせつに願っていた。手塚の為にも...。

「すごい人だね...」
                        
 自分達の回りに溢れかえるような人の多さに、不二はついそんな言葉を漏らす。不二は今、
佐伯と共にショッピングエリアの方に来ていた。昨日の電話で、佐伯に誘われたのが、今日ここへ
来た理由だ。記憶を無くす前に、ここへ来ていたのだと言う事は聞いていたが、覚えていない今と
なっては、初めて足を運んだような気持ちである。そんな不二の様子を見て、佐伯はクスッと笑った。                       「別荘のある辺りと違って、この辺りは観光客が多いからな」     
 「そうだね、それより良かったの?」                
 「何が?」                            
 「今日もお友達を放って来ちゃって...。怒っているんじゃないの...?」 
 自分が佐伯と出掛けてくると言った時の、菊丸の表情を思い出しながら、不二は佐伯にそう聞いた。
手塚と大石は特に変わった表情はしなかったのだが、菊丸は不二にはっきりそうだとわかる程、
佐伯と出掛ける事を快く思っていないようだった。その事に気付いたものの、一度した約束を取り
消す事も躊躇われて、不二は今ここにいる。それに佐伯といるとどこか気が楽だと言う思いがある。
それは、彼が不二が記憶を失っていると言う事を、あまり重く感じさせない所為なのか、それとも
幼馴染みだと言う関係がそうさせるのかはわからなかったけれど。             
 「普段から、俺が皆と別行動を取っている事はよくあるから、皆今さらなんとも思ってはいないさ」 
                     
心配そうに言う不二に、佐伯はそう言って笑った。それにつられたように、不二の表情にも笑みが浮かぶ。                   「君って、随分マイペースな人なんだね?」
             
 「そうだな」 
                          
 佐伯は不二の言葉を肯定した。そして、二人はある一見の店の前で立ち止まった。
そこは観光客相手の土産物屋のうちの一件だった。店先に並んだ商品を見ていると、
突然後ろから声をかけられた。佐伯と不二が振り向くと、そこには見知らぬ女の子の二人連れが
立っていた。         
「あの...、こっちも二人なんだけど、良かったら一緒に回りませんか?」 
そう言われて、どうやらナンパされているらしいと言う事に気付く。   
「ゴメンね、俺たちもう帰るところだから」             
 佐伯はそう言って、これ以上何か言われる前に、不二を促してその場を離れた。
そして、少し離れたところで、不二の様子がなんだかおかしい事に気付いた。 
                           
 「どうした?不二...」                        
どこか青ざめた表情をしている不二に、佐伯が心配そうに声をかける。 
 「前にも...、こんな事があったような気がする...」          
 何かを思い出そうとするかの様に、不二は頭を押さえる様に手を添えながらそう言った。                           「ナンパの事か?」                         
 「うん...」      

佐伯の別荘に着くと、不二はすぐに佐伯が使っている部屋へと通された。
そして、椅子に座って休む様に勧められる。佐伯はすぐに、冷蔵庫から冷たいお茶を入れてきて、
それを不二に差し出した。          
 「有難う...」
                            
 不二は勧められるままに、冷たいお茶で喉を潤した。
         
 「うん、さっきより顔色がよくなったようだな」 
           
ほっとしたように、佐伯がそう言った。その言葉に、不二も頷く。
   
 「ゴメンね、今日はせっかく誘ってもらったのに、こんな事になって...」 
 「気にしなくていいよ。また出かけようと思えばいつでもいけるし。そんな事より、何か思い出したのか?」
                 
 「ううん...、何も...」 
                       
 佐伯の問いに、不二は首を横に振った。
                
「そうか...」 
                           
「さっきナンパされた時、君が女の子と話しているのを見て、前にも同じような事があったような気が
したんだけど...。見ているうちに、何だか気分が悪くなってきて...」 
                      
あの場合、不二も一緒にナンパされていたのだが、女の子たちに佐伯をつれて行かれそうで、
何だか嫌な感じがした。             
 「それじゃあまるで、焼き餅を焼いているみたいに聞こえるよ」
    
 そう言って、佐伯は身を屈めると、不二の方に顔を近付けた。そして、二人の唇が一瞬だけ
触れる。
                      
「何で...」 
                           
 キスされた事に驚いて不二が聞くと、佐伯は少し困ったような表情をした。
                               
 「不二が可愛い事を言ってくれるから、抑えがきかなかった」
      
 「佐伯...」 
                           
 「今まで、幼馴染みと言う関係を壊すのが怖くて言えなかったけど、ずっと不二の事が
好きだった。小さい頃からずっと...」
           
突然の佐伯の告白に、不二は驚きを隠せずにいた。
          
 「僕、男だよ...?」 
                        
「わかっている、それでも好きなんだ。俺の事、おかしいって軽蔑するか?」
                              
 「しないけど...」 
                        
 男である自分を好きだと言う佐伯を軽蔑する気はなかったが、告白されたと言う事に対する実感が
わかず不二は困惑していた。そんな不二の顎に手を添えると、佐伯はそっと上を向かせてもう一度キスをした。
今度はさっきのような掠る程度のものではない。
                 
「俺と、付き合ってくれないか?」
                   
「付き合うって...」 
                        
「恋人として」 
                        
 真剣な表情で自分を見る佐伯に、不二はすぐに返事を返す事が出来なかった。

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