人の心はどうしてままならないのだろう。

帰る道すがら、不二の心はどこか晴れなかった。自分でも何をしているのだろうと言う気になってくる。

佐伯の別荘を出た不二が一人で歩いていると、目の前から歩いてくる人影があった。

「...どうしたの?皆揃って」 
                    
不二の目の前に現れた人影は、手塚、大石、菊丸の三人だった。その三人の表情もどこか暗い。                        
「いつもより帰ってくるのが遅いからさ、ちょっと気になって...」
   
 代表して菊丸が不二の質問に答えた。
                
 「迎えに来てくれたんだね。有難う...」 
         
     
 不二がそう言うと、三人とも押し黙った。不二を迎えに来たと言うよりは、あの話の後
どこか気まずくなって外に出て、気が付いたら佐伯の別荘へと続く道を歩いていたと言った方が正しい。             
「...どうしたの?」
                         
三人の様子がおかしい事に気付いて、不二が不安そうな表情を向ける。  
「何でもない。行き違いにならなくて良かったよ」          
 説明しようにも出来る事柄ではなく、不二からの追求を避ける様に大石が言う。
                              
 「そうそう、にゃんでもないから。早く帰るにゃ」           
そう言って菊丸が大石の隣に並んで、二人が先に歩きはじめた。その後を手塚と不二も並んで歩き出す。
しかし、別荘に帰り着くまで、誰も一言も話をしなかった。重い空気が皆の間にまとわりついている。
       
「手塚.........」                           
 別荘に着くなり、大石は心配そうに手塚の方を見た。菊丸はそんな二人の間におろおろと
視線を走らせている。                
 「大丈夫だ」                           
 二人の心配をよそに、手塚はそう言った。
               
「わかった...。行こう英二...」
                     
手塚の言葉に頷くと、大石は菊丸に声をかけてその場を立ち去る。
   
 「本当に、大丈夫かにゃ?」
                    
 後ろを気にしながら、菊丸が大石に尋ねる。
             
 「わからない...」 
                        
 「!大石......」 
                         
 「でも、これは二人の問題だ。俺たちが口を挟む事じゃない...」
    
 「大石.........」 
                          
 本当にそれでいいのかと菊丸が視線で大石に問う。不二のシャツが出掛けた時と違うものに
変わっている事に、二人とも気付いていた。多分手塚も気付いているだろうと思う。不二は気が
ついていないようだったが、シャツから覗く首筋にうっすらと紅い後が見えた。邪推かもしれないが、
何か合ったのだろうと想像してしまう。
                 
 「どうするかは、手塚が決める事だ。そして、不二が...」 
      
 「不二、あいつの事が好きになちゃったのかにゃ?手塚じゃなくて...」 
 佐伯の端正な顔を思い浮かべながら、菊丸がぽつりと言った。確かに佐伯は悪い人...不二が、手塚の事を思い出して、元の二人に戻ってくれればいいのににゃ...」
                             
 「そうだな...」
                          
 菊丸の言葉に、大石も同感だと頷いた。

手塚と共に残された不二は、これからどうなるのだろうと不安に思っていた。自分が出掛ける前と
違う何かを、不二も敏感に感じ取っている。   
手塚は、不二に自分の部屋へ一緒に来る様に
誘うとその腕を掴んだ。そして不二の手を引いて、部屋へと向かう。腕を掴まれていたことに
驚きつつも、不二はその後をついて言った。                  
部屋に入ってドアを閉めると、手塚は不二の体を抱き寄せた。     
 「手塚.........?」                          
 突然の事に、不二の胸の鼓動が早くなる。けれど、嫌だとは思わなかった。不二の体を抱き寄せは
したものの、手塚はすぐに体を離した。  
 そして不二の髪に指を絡めて、視線をその首筋へ、
そしてシャツから覗く鎖骨の辺りへと向ける。そこにはうっすらと紅い跡が残されていた。  
 「不二は、あいつが好きなのか?」                 
 「どうして...?そんな事を...?」                  
 「ここと、ここに跡が残っている...」                
 手塚に指摘されて、不二は自分の体に残る佐伯の残した跡に気がついた。
「それは.........」                          
 不二の心拍数が上がっていく。                    
「あいつと寝たのか?」                       
上手く言葉に出来ないでいる不二に手塚はそう聞いた。
そして、もう一度不二の体を抱き寄せる。 
                     
 「手塚.........」 
                          
 「そうだとしても、俺はお前を手放したくない」 
          
 その言葉に不二の胸は高鳴った。
                   
「それは、どう言う意味...?」
                   
 震える声で不二はそう聞いた。
                   
 「...好きだ」 
                          
 耳元で囁かれる手塚の声。 
                    
 「!............」 
                           
不二は言葉を続ける事が出来なかった。触れてくる熱い唇。想いを込めた様な情熱的な
口付けに、不二の腕はいつしか手塚の背中に回っていた。 
 体が熱を持って熱くなっていくのを止められない。          
 足元がふらつきそうになる不二の体を抱えて、手塚がベッドの上へと座らせる。
不二の前に跪くと、手塚はその腕を取り、手首の内側に唇を這わせた。                                「あっ.........」                            
たったそれだけの事なに、不二はドキリとする。手塚の指がシャツのボタンを外し、
素肌に触れられても不二は逃げようとはしなかった。    
 「...不二」                            
 震える体に手塚はそっと触れていった。

行為が終わった後、二人はまだベッドの上で寄り添っていた。
     
 「前にも、こんな事が有った気がする...」
               
抱き寄せる手塚の腕に身を任せながら、不二はそう言った。
       
「思い出したのか...?」
                      
 手塚が期待を込めてそう聞くと、不二は首を横に振った。
       
 「夢を見たんだ」 
                        
 「夢........?」 
                          
 「そう、ただの夢かと思っていたんだけど...」 
            
 「それは、どんな夢だったんだ?」
                 
 「夢の中で、僕は凄く好きな人がいたみたいなんだ。それが誰なのかずっとわからなかった。
佐伯は僕の事を好きだと言ってくれた。だから、彼がその夢の中の人物だったのかと思ったんだけど...。
それは、君だったんだね?僕達は、恋人同士だったの?」
                  
手塚の肩に頭を寄せて不二はそう聞いた。
              
 「あぁ、そうだ...」
                         
手塚は不二の言葉を肯定した。それを聞いた不二はほっとした様に一つ息を吐いた。
そして、疑問を口にする。                 
「...どうして、最初に言ってくれなかったの?」           
 「記憶をなくしているお前に、いきなり男の俺が恋人だったなんて言えるわけがないだろう...」                       
 「確かに...、いきなりそんな事を言われても、信じられなかったかも...」 
 手塚の言葉に不二も頷いた。頷きながら、どうしてこんな事になってしまったのだろうと思う。
医師に聞いた話では、不二が記憶をなくしたのは、心的な要因による可能性が高いらしい。
家族に帰る前にそう聞かされて、何を悩んでいるのか気付いてあげられなくてゴメンねと謝られた。 
 自分は何を悩んでいたのだろうと、不二は思った。手塚は、その悩みを知っているのだろうか?
そう思って、不二は口を開いた。       
 「ねぇ、僕って何か悩んでいる事があったのかな?」
          
不二に聞かれて手塚は眉を寄せた。
                 
 「いや、それはわからない。お前は、俺には何も言わなかったから。記憶をなくしてしまいたいと
思う程、お前が悩んでいたと言う事に、俺はこうなるまで気がつかなかった。すまない...」
              
 「...君が謝ることじゃないと思うけど」
                
それでは手塚にも言えない悩みだったんだろうかと、不二は自分の心のうちを探ってみるが、
やはり何もわからない。 
            
 「自分の事なのに、何もわからない...。もしもこのままずっと君との想い出を思い出す事が
出来なかったら...。君は、それでも平気?」
     
 「全く平気かと言うと嘘になる。お前が俺との想い出を全て忘れてしまったのは辛い」                           
 「...ゴメン」 
                          
 「だが、想い出はまた一緒に作る事が出来る」
             
沈みがちになる不二に、手塚はそう告げた。手塚の気遣いに、不二はただ頷く事しか出来なかった。


翌朝、手塚の部屋から二人が一緒に出てくるのを見て、大石と菊丸はほっと胸を撫で下ろした。
その様子から、どうやら丸く収まったらしいと言う事が伺い知れたからだ。

朝食の後、4人で散歩に出かけようと言う話になった。こんな和んだ雰囲気になるのは、
久し振りの事かもしれない。

「こっち、こっち...」
                        
菊丸が先頭に立って、元気に道案内をする。その後を3人はついていった。
山道を通って林を抜けると、きれいな水の流れる川が見えてきた。

「冷たいね...」

水の中に手を入れて、不二が言った。川の水は澄んでいて、泳いでいる魚の姿も見て取れる。                        
 「残念だったな、手塚。釣り竿を持って来ていなくて」 
        
大石が手塚にそう言った。それを聞いていた不二は、後ろに立つ手塚の方を振り返る。                           
 「手塚って、釣りが好きなんだ?」 
                
 「あぁ........」
                           
 「だったら、また来年ここへ来ようよ。今度は釣り竿を持って...」
   
 「そうだな......」 
                         
 「ずるいにゃ、二人だけで。俺も一緒に来年もここへ来たいにゃ!」  
 「英二!不二のご家族が良いって言ったらの話だぞ」
         
 騒ぐ菊丸に、釘をさす様に大石が言った。そのやり取りを聞いていた不二は、
クスクスと笑った。                      
 「多分、大丈夫だよ。来年もまた皆で来られたらいいね」
        
そして、こうやって新たな想い出を作っていけばいい。このまま何も思い出す事が
出来なかったとしても...。この時不二はそう思っていた。

しばらく川辺で遊んだ後、別荘に帰る為に4人は来た道を戻りはじめていた。もうすぐ林を抜けて街道にでる、そう思った時だった。

キキッ..........!

車道から飛び出して来た車が、急ブレーキをかける音が辺りに響き渡った。
それを耳にした瞬間、不二の体が見えない何かにビクッと震えた。 
 目の前が霞んで、足がふらつく。 
                 
 「不二!」
                            
 その様子に気が付いた手塚が、不二の体を支える。手塚の腕の中で、不二は意識を失っていた。


不二が目を覚ますとそこには泣きそうな顔をした菊丸がいた。

「良かった、不二。気が付いて...」

「ここは.......?」

「別荘だよ。気を失った不二を、手塚が背負って帰ってきたんだ」    

ベッドから身を起こして、不二は手塚と菊丸の間に視線を彷徨わせた。
 
 「そうだったんだ。有難う、手塚、皆も迷惑をかけてゴメン。ところで、英二
、聞きたい事があるんだけど」 
                
 「にゃに?」 
                           
「僕達、いつ手塚と合流したの?」 
                 
「不二?」 
                           
 「不二、もしかして記憶が戻ったの?」
               
 そう言って菊丸は嬉しそうな表情をして、不二に抱きついた。

目が覚めてからしばらくするとだんだんと不二の意識ははっきりとしてきた。
そして皆に向かって、長い夢をみていたようだと不二は告げる。  
 記憶を失っている間の出来事は、まるで夢の中の出来事のように、
うっすらと不二の中に残っているらしい。                  
記憶が戻った事を、不二の家族に連絡をした。すると皆電話越しに、その事を喜んでくれた。
このままずっと思い出せないのではと、家族も不安を抱えていたのだ。不二の様子が落ち
着いてから、手塚は不二を誘って庭先へと出た。そして木漏れ日の中を散策しながら、
疑問に思っていた事を口にする。

「お前、何か悩みがあるのか?」 
                 
 「悩み...?」 
                          
 「そうだ...」 
                          
 不二は立ち止まって、手塚の方を見た。

               
 「悩みがない人なんているのかな?」
                 
「不二...?」
                            
 「ねぇ、手塚。僕の事、好き?」 
                 
 「...何だ、いきなり」 
                      
 誤魔化すつもりなのかと、手塚の語気が強くなる。
          
 「僕は、君が好きだよ」
                       
手塚の様子など気にもせず、不二はにっこりと笑った。
         
「だから、何だ...?」 
                      
 不二の笑顔に内心動揺したのを隠すかのように、手塚が強い口調で聞く。
「だから、不安だったんだよ...」
                  
 「不二.........?」 
                         
 「君の事が好きだから、だから考えないようにしていた事もつい考えてしまって、
それが無意識のうちに鬱屈しちゃったのかな...」
         
「俺の所為なのか?」 
                       
手塚の言葉に不二は静かに首を横に振った。
             
 「違うよ。僕自身の問題かな。君の事が好きで、いつの間にか君を失うのが
怖くなっていたんだ...」
                     
 手塚が女の子に告白される姿を見る度、不二は平気な振りをしてきた。  
本当は平気じゃなかった。それなのに...。              
 「不二、それは俺も同じだ...」                   
 「手塚.........」                           
 「俺たちだけじゃない。多分、大石たちも同じよな悩みを抱えているだろう。
人を好きになれば、誰でも悩む事だ...」             
 「君も、そんな風に悩む事があるの?」               
 「あぁ、お前は持てるからな。誰かに取られるんじゃないかといつも不安だ。
他に好きな人が出来たと言われるんじゃないかと...」        
「皆、同じ様に不安なんだね...」                  
 「そうだな...」                           
不二は手塚の肩に寄り添った。自分だけではなく、手塚でも不安に思う事がある。
その事実が、不二の心を少し軽くした。           
 「そろそろ中へ入ろうか?あまり遅くなると英二たちが心配するかもしれないし..」
                              
手塚の方を見上げるようにして、不二が言った。その肩を手塚が抱き寄せる。
                                
「その前に、一つ聞きたい事があるんだが...」
            
 肩を抱く腕に力が入り、手塚が緊張しているのだと言う事が不二にもわかった。                              
「何..........?」 
                          
「あの日、佐伯と何があったんだ?」
                
 「...好きだって告白されて、それに答えようと思ったんだ」
      
 「.................」 
                         
 不二の告白に、手塚は思わず肩を抱く腕に力を込めてしまった。自分から聞いて
おいてなんだが、あまり聞きたい内容でない事は確かだった。   
「でも、出来なかった。キスはしたけど........」 
           
 最後の方は俯いて小声になりつつも、不二はそう告白した。
       
俯いた不二の顎に手をかけて上を向かせると、手塚は唇を寄せた。
軽く触れあうだけの口付け。
                       
 「...他の奴とは、もうこう言う事はするな」 

            
 明らかに嫉妬を含んだ声音で、手塚が言った。
            
 「うん...」 
                           
 手塚の言葉に頷くと、不二は今度は自分から手塚にキスをした。

        end  小説目次へ

当サイトはアダルト禁止ですので。再録にあたりそう言う場面は省略しました。



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