聖ルドルフ寮のロビー。夕食後のゆったりとした時間を寮生たちが過ごすその場所で、
一人憂鬱そうな顔をした人物がいた。           
 「どうしたんです、裕太君。さっきから溜め息ばかりついてますね」  
 「観月さん...」                          
 ソファーに座っている裕太は、傍らに立つ観月に視線を向けた。    
 「何か悩みでもあるんですか?」                  
 あるなら相談にのってあげてもいいですよと、観月は空いていた向かいのソファーに座る。                         
 「..............」
                           
その申し出にのってもいいものかどうか、裕太は迷った。自分にとっては世話になっている
良い先輩の観月であるが、相談したい事が自分の兄の事となると話は別である
。                       
観月は試合で兄に負けて以来(それ以前から)兄に対して、あまり良い感情を持っていない
ような雰囲気を醸し出しているのである。それは、兄の方にも言える事のようだが...。
                     
そんな観月に相談していいものかどうか...。
              
迷っているうちに他のギャラリーまで現れた。
            
 「二人ともどうしたんだーね?」
                  
 「本当に。何か真剣な話でもしてるの?」
              
 興味津々と言った調子の柳沢と木更津が聞いてくる。
         
 「別に何でもないです...」 
                    
 裕太がモゴモゴと口ごもる。
                    
 「そんな風には見えないけどね。で、観月、何の話をしていたの?」  
 「それが、裕太君が何も言ってくれないんですよね。何か悩んでいる様子なんで声をかけたんですが...」                   
 観月がお手上げと言った調子で二人に言う。
             
 「悩みか...」 
                          
 「悩み事ねぇ」 
                         
三人の視線が一斉に裕太に集まる。このまま何も言わずにこの場を去る事はできない。
そんな圧迫感に裕太は囚われた。そして、何でこんな事になってしまったのだろうとと思う。
こんな事なら、さっさと観月に相談してしまえば良かったのだろかと思った時、
ふっと妙案が浮かんだ。
   
 「あの.....」
                           
 「やっと言う気になりましたか」 
                  
「...たとえ話なんですけど」 
                   
そう、この場を離れる為に、兄の事だと言う事をぼかして相談しようと裕太は思い付いたのだ。                       
 「知り合いのAさんと言う人が、キスしているところを偶然目撃してしまったんです」                             
「それで?まさか、それがショックだったんですか?」
         
 「はい...」 
                            
裕太は素直に頷いた。
                         
「今時純情と言うか、子供ですねぇ。お兄さんが誰かとキスをしていたのが、
そんなにショックだったんですか?」
              
 さらっと観月がそう言った。
                     
「なっ、何で?俺、兄貴の事だなんて...」
              
 一言も言っていませんと、裕太は動揺してあたふたとしている。
    
「そんな事、今のたとえ話を聞いたら、観月でなくてもわかるよな...」 
 「だ~ね.....」                            
 「裕太って、無自覚な分、質が悪いよな...」             
 「自覚してたらしてたで、どうかと思うだ~ね」           
 あくまでも冷静な観月と、顔色を変えて動揺している裕太を横目に、
木更津と柳沢は『裕太ってほんと無自覚のブラコンだよな』と溜め息をついた。                                「他に誰のたとえ話だと言うんです?それじゃあ聞きますが、
ここにいる木更津君と柳沢君がキスしているところを見たとして、君はそんな風に
ショックを受けますか?」
                      
 「観月、なんてたとえ話をしているんだよ!」
            
 「だ~ね!」
                             
 いきなり会話に組み込まれた内容が内容であるだけに、二人はそろって観月に抗議した。                         
 「そんなに怒らなくてもいいでしょう、たとえ話なんですから。で、どうなんですか?裕太君」                        観月は二人の抗議を冷静に受け流す。そんな風に言うのなら、
自分をたとえ話にしろと思う二人だった。                   
「それは...」 
                          
 素直に観月のたとえ話を頭に描いてみる裕太だった。確かにそれはそれで驚きは
するだろうが、こんな風に自分の中にいつまでもどんよりと残りはしないだろうと思った。                       
 「わかりましたか?君がそんな風にショックを受ける相手と言えば、たかが
限られてくるでしょう?」 
                    
 「............」
                            
 わかって当然だと、あっさり言い捨てられて、裕太は返す言葉がなかった。
何のためのたとえ話しだったんだか...。 
             
「まぁ、原因はわかりましたが...」 
                
 これはどうしようもありませんねと、観月が溜め息をつく。 
      
「他人の恋愛には、かかわらない方が無難だろうね」
        
「だ~ね」
                             
「そんな恋愛なんて!...」
                     
 いきなり裕太が声を荒げて、ソファーから立ち上がった。 
       
 「どうしたんです?裕太君」
                    
 「いえ...」 
                             
はっとして、裕太はもう一度ソファーに座り直した。
           
 「恋愛と言う部分が気に入らなかったようですね?それじゃあ、お兄さんは遊びで
その相手とキスをしていたとでも?」             
 「そんな事は...」                         
 兄が昔から持てていたのは、裕太も知っている。その相手が女だけでなく男にも...。
だけど、遊びでそんな風に誰かと付き合っているようなところは見た事がなかった。
だとしたら、皆の言う通りその相手と恋愛関係にあるのだろう。そうわかっていても、
認めたくなかったのだ。       
「重傷ですね。お兄さんが男と付き合っていたのが、そんなに信じたくないくらい
ショックだったんですか?」                 
「みっ、観月さん!今、何て?」                   
裕太は言われた言葉に驚いた。普通、付き合っていると言えばこの場合女の人だと
思うだろう。裕太は兄が男とキスをしていたとは、一言も言っていない。                               「何をそんなに驚いているんです?相手は手塚君だったんじゃないんですか?」                             
 「なっ、何で?観月さんその場にいたんですか?」
           
まるで現場を見ていたのではないかと、疑ってしまう裕太だった。  
 「いるわけないでしょう。でも、その口振りだと、どうやら当たりのようですね。青学を調べて
いる時に、そう言う噂もあったんで、一応覚えていたんです」 
                          
 「そ、そんな噂が...」 
                      
 「えぇ、テニスとは直接関係のない事だったので、真相を確かめはしなかったんですが。
8割くらいの確率で、二人は付き合っていると言うデーターが出ていましたからね」
                      
 「そう言えば、試合会場でも、二人で歩いているのを何度かみかけた事があるよな」
                            
 落ち込んでいる裕太に追い打ちをかけるように、木更津が言う。   
 「何で、皆そんなに冷静なんですか...」                
 自分は、兄が男と付き合っていると知っただけでショックだったのに、あっさりとその事実を
受け入れている周りの人たちはいったい何なんだと裕太は言いたかった。
                       
 「今時そんな珍しい事じゃありませんから、男同士や女同士で付き合っている事なんて。
では聞きますが、裕太君は、お兄さんが付き合っているのが女の人だったとしたら、そんなに
ショックを受けなかったんですか?」 言われて裕太は考えてみた。兄の隣に並ぶ、女の人の姿を...。
     
 想像してみたら、兄が手塚とキスしているのを見た時と同じように、胸が痛くなった。                           
 「どうです?」
                            
 「............」
                              
「同じように感じたんではないんですか?」
             
 何も言わないのは、肯定を意味している。
              
 「...結局、誰と付き合っていても同じなんじゃないの?」
        
「兄貴をとられたようで寂しいんだ~ね?」
            
 それはどうしようもないなと、うんうん頷いている二人。どうしようも無い事だと言う事くらい、
裕太にもわかっている。兄が恋人を作ろうとそれは兄の自由であり、自分の口だす事ではない。
           
 「...裕太君、明日にでも一度、実家に帰ってみてはどうですか?そんな風に一人で考え込んで
いても仕方のない事ですし。ついでに実家に止まってきてはどうです?翌日は、お休みですし...」                「どうしたんだ、観月?随分優しい事言うだ~ね」
          
 「失礼な、僕はいつでも優しいですよ。では、裕太君そう言うわけで少し早いですが、
今夜はもう休みなさい」 
              
 観月はそう言うと、裕太をさっさと部屋に帰らせた。
          
 「いいのか観月、あんな事言って。実家に帰ったくらいで、どうにかなる問題とは思えないけどな」
                     
 「いいんですよ、一人でグダグタ考えているよりは、事実をはっきりと認識させてしまった方がね」
                      
「荒療治と言うやつだ~ね?」 
                   
 「そうとも言いますね。とにかく裕太君には、さっさと立ち直ってもらわないと。テニスはメンタル面が
大きく左右するスポーツですから」  
 「結局、そこなんだね...」
                      
 後輩が心配と言うよりは、チームのエースに潰れられては困ると言う事らしい。
観月らしいと言葉には出さずに納得する木更津と柳沢だった。

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