「うわっ!」
                               
 「あっ、ゴメンちょっと降りてくるのが早すぎたみたいだね」        
脱衣所のドアを開けた途端、驚いたような声を出した裕太に不二が謝る。ちょうどドアを開ける
タイミングが重なって、ぶつかりそうになったのだ。由美子にお風呂が空いたみたいだから、
入ってきなさいと言われて来た結果がこれである。もう少し時間をおいてから降りて来た方が良かったようだ。
     
 「兄貴.......」 
                           
 「何?」 
                               
 何かを言おうとしてして口ごもった裕太の様子を訝しく思い、不二はその視線をたどった。
どうやら裕太は不二の後ろにいる手塚に気を取られているようである。                                 
 「...まさか、一緒に入るとは言わないよな」
                 
その様子から一緒にと言うのが手塚をさしている事はわかる。
        
 「言わないよ...」
                              
 それを聞いた裕太はあからさまにほっとした顔をした。根が素直なので、感情が全て
表情に現れるのである。                         
「裕太、一緒に入りたかったの?」
                     
そんな弟の様子をからかうかのように、不二がそう言った。不二の家の浴室は広いので、
二人一緒に入ろうと思えば入れるだけのスペースはある。      
「そんなわけあるか!」                        
 クスクスと笑いながら言う不二に、裕太が反論する。幼い子供だった頃ならともかく、
中学生にもなって兄と一緒にお風呂になど入れるかと、裕太は怒ったように脱衣所を
飛び出して行った。            
       
 「...冗談だったのに」
                         
 「不二...」
                                
 「だって、裕太が変な事を言い出すからさ...」
                
中学生にもなって、普通友達を家に呼んだからといって、一緒にお風呂に入るとは思わないだろう
。何となく裕太の様子がおかしいのには、不二も気が付いていた。  
コンコンとドアを叩く音に、裕太は部屋のドアを開けた。
          
「兄貴、何の用だよ...」                         
ドアの向こうに立つ不二に向かって、裕太がぶっきらぼうにそう言った。  
 「手塚がお風呂に入っている間暇だからさ、僕の部屋でトランプでもしない?」
                                  
にこにこと笑顔で誘う不二に、裕太はあっさりと頷いた。その様子に不二はおやっと思った。
いつもなら、文句の一つも飛んで来て断られているだろう場面である。やっぱりいつもと
どこか様子が違うなと不二は思った。だいたいからして、裕太が何の前触れも無くこんな風に
帰って来ていること自体がおかしいのである。 
                               
「ストレート...」
                            
「ワンペア...」 
                            
 「僕の勝ちだね」
                             
 二人でポーカーを始めたのは良いが、さっきから不二が一人勝ちを続けている。
裕太が理不尽だと感じるのは、こう言う時である。勉強でもスポーツでも兄には
かなわない。おまけにこんなゲームでさえも自分は兄に勝てないのかと思うと、
悔しくてたまらない。かと言ってわざと負けられたりするとそれはそれで腹が立つのだ。
                           
 特に努力をしていると言うわけでもないのに、何でも器用にこなしていく兄。
それ故に天才と呼ばれていたりするのだろうが、そんな一言で全てを片づけられてしまうのは、
何かやりきれない。同じ両親の血を引いているのにと思うと尚更である
。                               
 何でもできる兄。
                              
裕太にとって自慢であり、大切な存在である。にもかかわらず、突っかかるような可愛げない
態度をとってしまうのは、そう言う複雑な事情からである。ハァッと裕太は溜め息をついた。                     「疲れちゃった?そろそろ部屋に戻って休む?」
               
 「勝ち逃げする気かよ」 
                       
 裕太はキッとムキになって言う。それじゃあ続けようかと、不二がトランプを切った時、
部屋のドアが開いた。                     
「...ごめんね裕太。お風呂が空いたみたいだから行ってくるよ。まだ続けるなら手塚に
相手をしてもらうといいよ」                  
 「って、おい、兄貴」                          
言うだけ言って不二はさっさと部屋を出て行った。そして部屋には裕太と手塚が残された。
主のいなくなった部屋を、何やら重苦しい空気が流れた。
『いったいどうしろって言うんだよ...』手塚と二人で部屋に取り残された裕太は、そのまま部屋を
出て行く事も出来ずに困り果てていた。             
無口な手塚に対して、何を話したら良いのかもわからない。手塚の方も別に裕太に
話しかけてきたりはしない。兄が言い残したように、トランプの続きをやろうと言い出せる
ような雰囲気でもなかった。絨毯の上に散ったままのトランプを片付けながら、裕太は
手塚の方をチラッと見る。            
手塚はベッドの上に腰掛けて、濡れた髪を拭っていた。当然のようにこの部屋で寛いでいる
様子の手塚に、またも裕太は胃
が痛む思いをした。いかにもこの部屋に何度も来た事がありますと言われているようで
、面白くなかった。   
そんな理由から手塚の方を見る目つきも悪くなっていく。          
一方手塚も、不二の弟をどうあつかっていいのか考えていた。お互い顔は知っているが
その程度の認識しかない。不二のように向こうから話しかけてくるわけでもない。
そんな裕太の様子から、あまり似ていない兄弟だと手塚は思った。似ているのは
色素の薄い髪の色くらいだろうか。おまけに気のせいか睨まれているような感じがする。そもそもあまり面識がないのだし、嫌われるような事をした覚えもないのだが。                      
 表情に乏しい手塚が内心そんな風に思っているとは、裕太の方も気付いていなかった
。                                
部屋の中はシンっと静まり返ったまま、十分、二十分と時間だけが着々と過ぎていった。
                              
 「あれ?二人とも何をやっているの?」
                 
 風呂から戻った不二が見たものは、黙ったまま座り込んでいる二人の姿だった。
部屋の中はどんよりと曇った空気すら見えそうだ。物事に動じない不二さえも入るのを躊躇う程に。
                       
「...俺昨日見ちゃったんだ。兄貴が手塚さんとキスしているところ...」
     
裕太はスッと不二から視線を反らした。最後の方は消え入るような声音になっている。
聞いてはみたものの、まともに兄の顔を見る事ができない。     
「そうか...。見られていたんだ...」                    
 だったら黙っていても仕方ないね。裕太が見た通りの関係だよとあっさりと不二から告げられる。                           
 「...つまり手塚さんと、恋人として付き合っているって言う事かよ?」    
「うん...って、言っちゃっていいんだよね?」               
不二がチラッと手塚に視線を送る。                   
 「当然だ」                              
 そう答えてから、さっき睨まれていると感じたのは、気のせいではなかったらしいと
手塚は納得した。弟に関係がバレた事に対しては、動揺もなにもないらしい。それは
不二も似たようなものだった。手塚らしい簡素な物言いにクスクスと笑っている。
弟の様子がいつもと違った理由がはっきりして、不二は何となく気分が軽くなっていた。                       一方裕太は、複雑な様子で二人のやり取りを見ていた。半ばわかっていた事とは言え、
やはりショックだった。無意識の家に目には涙が溜まっている。  
 「裕太...」                               
泣きそうな顔をしている弟を不二がそっと抱きしめる。          
 「ゴメンね。裕太に反対されても、手塚と別れる事なんてできないから...」  
 「あ...、兄貴ー...」                           
 裕太は声を上げて泣きながら、不二にしがみついた。そんな弟の背中を、小さな子を
あやすように不二がポンポンと叩く。そんな二人の様子を手塚は内心複雑な思いで見ていた。
いくら兄弟だからといって自分の目の前で、他人とベタベタする様を見せつけられるのは面白くない。
気のせいではなく、手塚の眉間にはくっきりと皺が寄っていた。
「昨日まさか裕太に見られていたとはね」                 
一通り泣いた後、裕太は自分の部屋へと戻って行った。             
二人とも全く気が付かなかったねと不二が言うと手塚も頷いた。       
 「ねぇ、あさっりばらしちゃったけど、良かったの?」            
 バラしてからこんな事を言っても仕方が無いことだし、あの状態ではごまかせたかどうかも微妙だが。
                        
 「あぁ、いずれバレる事だしな」
                   
 「そうだね...」 
                           
 思っていたより早くばれちゃったけどと不二が苦笑する。そして思い出したかのように口を開いた。                         
 「そう言えば、結局裕太とトランプして遊ばなかったの?」 
       
 「あぁ...」 
                              
そんなのんきなことが出来る雰囲気ではなかったと手塚は言った。自分が風呂に入っているあいだ、
二人の間には会話すらなかったらしい。どうりで部屋を開けた時に、人がいるはずなのにやけに
静まりかえっていたわけだと不二は思った。                               
 そろそろ寝ようかと、絨毯の上に置かれたままになっているトランプを引き出しにしまいながら、
不二が言う。先にベッドに入っているように、手塚を促すと部屋の電気を消して、不二もその隣に入る。
どちらかの家に泊まった時は、いつも一緒に寝ている。
                         
 「おやすみ、手塚」
                            
そのまま眠りの体制に入ろうとした不二の体を、手塚が抱きしめる。
    
 「不二...」
                                
「手塚...。するの...?」
                         
 慣れた手つきでパジャマのボタンを外していく手塚に不二が問いかけた。
  
 「...イヤか?」                            
 「そうじゃない、けど...」                       
 こう言う関係になってから、二人で寝て何もしなかった日はほとんどない。
手塚に誘われて不二が断ったなど一度もなかった。              
 「けど、何だ?」                           
 「あ..、うん。裕太が隣の部屋にいるから、今日は何もしない方がいいのかなって...」                                 不二の家は防音設備も整っている。隣に声が漏れる事はないと思うのだが。 
 「どうせバレているんだし、気にする事もないだろう?」
 
         
 そう言うと手塚は行為を進めていく。
                  
 「君って時々凄く大胆だよね」
                      
不二はクスクスと笑いながら、手塚の首に腕を回した。言葉にしない了承の証。
そして二人の夜は過ぎていった。
「おはよう、裕太」                          
 出かけようと玄関を出ようとした時に、裕太が階段から降りて来た。
夕べは中々眠れなかったのか、目の下にうっすらとクマができている。おはようと返してくる声にも覇気がない。                        
「僕達これからでかけるけど、裕太はどうするの?今日は夕方まで家にいるの?」 
                                
 「.........」 
                              
家にいたところで、裕太にはする事は何も無い。それなら僕達と一緒にでかける?
と笑顔で聞いてくる兄を見てから、当然のようにその横に立っている手塚を見た。
一緒に行けば自分が邪魔者になるのは、行く前から目に見えていた。
それに誘った兄はともかくとして、手塚はその事をどうおもうだろうかと裕太は思った。
手塚の方を見ると何となく睨まれているような気がする。昨日自分も同じように手塚を睨み
付けていた自覚があるので、あまり人の事を言えた義理ではないのだが何となく面白くなかった。
いっそうのこと嫌がらせに付いて行ってやろうかと思ったぐらいだ。
                    
 「どうする?」
                             
 再度問いかけられて、裕太は気持ちを固めた。
              
 「俺、もう寮に戻るから。兄貴たちだけで出かけてこいよ」 
         
そうしようと決めたのは、結局嫌がらせで二人に付いて行っても、仲の良さに当てられる
だけだと思ったからだ。
                     
「そう...」
                               
また家に帰っておいでと不二が裕太に話しかけている間に、手塚は靴を履き終えていた。                              
 「行くぞ、不二」 
                           
 なかなかその場を動こうとしない不二にそう言うと、手塚はさっさと外に出ようとする。
兄を自分から引き離そうとする手塚に、裕太は内心理不尽な怒りを覚えた。                               
 「うん。それじゃあ、裕太。またね」 
                 
 靴を履いて、手塚の後を追おうとする不二の腕を裕太が掴んだ。
       
 「兄貴、手塚さんが嫌になったら、さっさと帰って来ていいからな」   
 「裕太?」                              
 不二を通り越して、裕太の視線は手塚の方を向いている。その間に火花が散っているように
見えるのは気のせいではないだろう。不二は一人冷静に、でも帰って来た時には、裕太も
もう寮に帰ったあとなんじゃないかと考えていた。今そんな事を言える雰囲気ではないので、
わかったと裕太の答え
「おや、裕太君はやかったですね」                   
 寮に戻った裕太を出迎えて観月はそう言った。てっきり夕方まで帰ってこないと思っていたのだ。
観月にそう言われても、裕太は本当の事は言えなかった。まさか手塚が昨日不二の家に泊まりに
来ているとは、観月も思ってもいない事である。予想が外れておやっと言う顔をしている観月に、
裕太は重い口を開いた。                                 
 「家にいても、する事などありませんから」               
 「お兄さんと喧嘩したんですか?」                   
仕方ありませんねと感情のこもっていない口調で観月が言う。         
「喧嘩なんて...」                  
         
 言いながら裕太は遠い目をした。思えば何かと構ってくる兄に反発して、突っかかっていた
あの頃は良かったと。                    
 「裕太君?」                              黙
ってしまった裕太に観月が声をかける。俯いて拳を握りしめて肩を振るわせている裕太に、
どうしたんです?と聞くと、裕太はようやく顔を上げた。  
 「観月さん、俺、強くなりたいんです。もっと...。今から練習に付き合ってくれませんか?」
                            
「それはかまいませんよ。やる気があるのは良い事ですからね」
      
 「ありがとうございます。俺、手塚さんに勝てるくらい強くなりたいんです」 
打倒兄はどうしたんですか?と聞きたくなるのを観月はこらえた。何があったのかは知らないけれど、
鉄は熱いうちに叩けである。           
「わかりました。では、準備をしたらコートに入ってください」
      
 「はい!」
                              
 裕太は勢い良く自室に戻って行った。         
         
 「観月の荒療治が成功したってところかな?元気になったみたいだね」   
 「我が校のエースはあついだ~ね」                  
 裕太の勢いに押されて、声をかけ損ねていた木更津と柳沢の二人が顔を見合わせて言った。                             
 「と言う事ですから、あなたたちも練習に付き合ってく ださい」

「...兄弟とは、あんなものなのか?」 
                 
 街へ向かう道を歩きながら、手塚が独り言のようにそう言った。
      
 「何が?」 
                       
        
それを聞いた不二が手塚の方を見てそう聞いた。
               
 「いや...。仲がいいと言うのか何と言うか...」
               
「僕と裕太の事?」 
                         
 「あぁ...」 
                             
 不二の弟が、青学から聖ルドルフに転校したのは、不二と比べられる事に嫌気がさしたからだと
聞いている。兄弟のいない手塚にはわからないが、複雑な関係棚とは思っていた。
                         
今まで不二の弟と接触する機会がなかったので、あまり深く考えた事はなかったが、兄弟と言うものは
より近い立場にいて、強い絆を持っているものだ。昨日の不二と弟を見て、手塚はそう思った。
それ故に不安を感じたのだ。    不二に無条件に受け入れられる弟の存在に。不二の弟は
本当に不二を兄としてだけ見ているのだろうかと。今朝のやりとりを思い出して、そんな事を
考えてしまう手塚だった。                          
 「余所の兄弟がどんなものかは知らないから、何て言ったらいいのかわからないけれど。
君との事がバレちゃったからかな、裕太の態度は何となく変だったよね」 
                                
手塚が言いたいのはそう言う意味ではなかったのだが、取りあえず不二の言葉に頷いておく。
そんなやり取りの後、しばらく歩いて行くと、一件のこじんまりとした花屋のテナントが目に入った。                 「ねぇ、あそこに寄っても良い?」                  
 「あぁ...」                               
何を見たいのかは、言われなくてもわかっている。嬉しそうに笑う不二の後を付いて行きながら、
手塚は考えていた。この恋の一番の難関は、不二の弟かもしれないと。

        end     小説もくじへ



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