イヌイと呼ばれた青年は、フジの姿を認めるとそう言った。

「君もね、良かった。あの後、どうなったのかと気にはなっていたんだけれど...」

「それは俺も同じだ。ここにいればお前が来るかもしれない。そう思って今まで世話になっていたんだが、そうしていて良かったよ」

「彼はねフジ、いつまでもここで世話になるのは気が引けるから、ライズメア王国に行くって行っていたんだよ。そこに親戚がいるから、そちらを頼る為にね。それを俺が引き止めたんだ。フジが訪ねてくるかもしれない、その時に行き違いになるかもしれないってね」　
　　　　　　　　　　
イヌイの言葉にサエキがそう付け加える。　
　　　　　　　　　　　　　
　「フジがこの屋敷を訪ねてくるかもしれない。そう思いながら何もない日が続き、時間だけがどんどん経過してしまった。俺もそろそろ現実を受け入れなくてはならない。フジの事は死んだものと思い、ライズメア王国へ行くべきかどうかと考えていたところだったんだ」　
　　　　　　　　　
　「...良かったら、我が国に仕えてみないかって誘ったんだけど、首を縦に振ってくれなくてね。彼程の人材を、他国に持っていかれるのは惜しいと思うんだけど」　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　イヌイの言葉にサエキは苦笑してそう言った。

「彼もアドレッセント王国の関係者のようだが...。俺たちにも紹介してもらえないか？」

ともすれば話から置いていかれそうな雰囲気を察して、テヅカが横から口を挟んだ。

「あぁ、ゴメン。彼はアドレッセント王国の魔術師ギルドの長の息子イヌイ。彼は魔力を帯びた道具づくりを得意としていて、いずれフジがアドレッセント王国の王位についた時には、その補佐につくだろうと言われていた将来有望な人物だよ」　　　　　　　　　　　　

「それはほめ過ぎだと思うが...」

サエキの紹介に、イヌイは少し照れた様にそう否定した。
　　　　　　　
　フジはテヅカ達に頷いてみせる。サエキの言い方は多少大げさだったかもしれないが、言った事に偽りはない。

イヌイの魔術師としての力は、特に突出したものではなかった。それは本人も自覚している。幼い頃からフジと一緒に魔術の勉強をしてきたイヌイは、その頃からフジとの力の差をはっきりと感じていた。
　　　　　　　　
フジと言う才能ある魔術師が側にいた事。圧倒的な持っている力の差は、嫉妬心すら抱けない程のものだった。イヌイが出来ない様な事も、フジは簡単にやってのけてしまう。フジにとっては、そんな事は出来て当たり前だったのだ。その様子をずっと側で見ていたイヌイは、フジにとっては、魔術を使う事等、その手足を使うのと同じくらいに簡単な事なのだと言う事がわかってしまった。その事が、イヌイに魔術よりも魔力を帯びた道具作りの研究に向かわせた要因の一つだった。自分の魔術師としての才能がたいしたものではないと言う事に早いうちに気が付いた彼は、魔術師としても腕を磨くよりも、研究や魔法の道具を作り出す方向に喜びを見いだしたのだ。早いうちに自分の才能に見切りを付けられた事で、研究者としても力を養う事が出来た。サエキがいった様に、フジが王位を継いだ時には、その側で自分の力を役立てたいと思っていた。　
　　　　　　　　　　
彼の力になりたいと思っていた。今となっては、それも叶わぬ夢となってしまったが。

「フジ、アドレッセント王国がどうして消失したのか、だいたいの事情はイヌイから聞いたよ。フジが言いたくないのなら、俺が説明してもいいけど」

テヅカ達の方を見ながら、サエキはフジに気遣いそう言った。

「...大丈夫、自分で言うよ」

ここへ来るまでには、色々な葛藤がフジの中にあった。待っていてくれた二人には申し訳ないと思うが、テヅカ達と出会わなければ、フジが今この時期に、この辺りに足を踏み入れる事はなかっただろう。
　　　　　　　　
誰もがフジの事を死んだと思い、いずれその存在を忘れる。そうなる事をフジは望んでいた。世間から自らの存在を消してしまう事を。　　　　　　
フジが南の地を目指したのは、この辺りと違い、自分を知る人物が少ないからだった。

これ以上の追跡を逃れるために、その源となるリングを外すためとは言え、この地に入りサエキを頼った事をこれで良かったのだろうかと思っていた。会えば迷惑をかけるのではないかあとずっと思っていた。けれど本当に喜んでくれている二人の様子を見ていると、来て良かったのだと素直に思えた。彼等が真に自分の事を心配し、再会出来た事を喜んでいるのがわかったからだ。

「フジ、話してくれるな？」

テヅカがフジの方を見た。そう言いながらも、テヅカはこれから知る事実を前にして緊張していた。ユキムラ達も同じ心境だろう。彼等が北をアドレッセント王国を目指したのはその事を知るのが目的だ。　
　　　　　　　
今探していた事実が明かされようとしている。

「事は、数年前から始まっていたんだ。今になったらそうだと言う事がわかる。

フジは静かに話を始めた。

「数年前...」

「そう、アドレッセント王国の魔術師ギルドは、知っての通り他国にもその門を開いている。希望があれば、他国の者でもギルドは受け入れていた。そこにいるリョーマ君や、サエキもそうだけど」

フジはそう言って、一旦言葉を区切った。

「受け入れていると言っても、期間は限定される。それに、魔術の研究にはお金もかかるから、金銭的にも余裕のある者しかギルドに属する事は出来ないけどね」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　フジの言葉に、イヌイがそう付け加える。自国の者であれば、魔術の素養が認められれば、金銭的に余裕が無い者でも、ギルドは受け入れている。優れた魔術師を育て上げれば、それは結果的には自国の為にもなる。そう言った事情はアドレッセント王国に限らず、他国のギルドに関しても同じ事が言える。国の事情によっては、技術の漏えいを防ぐ為と称して、他国の者には一切その門を開かないギルドもあるようだが、アドレッセント王国は、その技術に出し惜しみはしなかった。そうした背景には、あらぬ誤解を招かぬためにと言う国家としての配慮もあった。アドレッセント王国は、一歩間違えれば世界を滅ぼしかねないある物を保管していたのだ。　
　「アドレッセント王国の魔術師ギルドには、これまでこの大陸に有る国の者しか受け入れた事はなかった。けれど数年前、ラティオダンク王国から魔術の勉強がしたいとギルドの門を叩く者がいた」　
　　　　　　　　　
　「その者を受け入れたんだな？」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
テヅカの言葉にフジは頷いた。

「本人が言うには、実家はヘキサングラー王国と取り引きをしている商会だと、そこの息子だという触込みだった。だから金銭的にも問題はないからと言われて、それを承知した。元々、大陸の人間以外は受け入れない等と言う規則もなかったしね。ラティオダンク王国については、大陸内の事と違い、こちらにもあまり情報が入ってこないから、本人の言う事を全て信用しての事だったんだけれど、それが全ての誤りの始まりだったんだ」
「つまり商家の息子だと言うのが嘘だったんだな？」　
　　　　　　　　
　テヅカが聞くと、フジはそれを肯定した。
　　　　　　　　　　　　　　　
「それだけなら嘘だとしてもなんら問題はなかった。彼に魔術師としての素養があったのは確かだし、学ぼうと言う意欲があるのならギルドは受け入れる。けれど彼がアドレッセント王国に来た目的は、ギルドに入って魔術を学ぶ事等ではなかった」

「真面目に勉強している振りをしていたからね、俺も勉強熱心な奴だぐらいにしか思っていなかったよ。ラティオダンク王国から来た初めての人物と言う事で、ギルドの中でも何かと注目されていた。その事は本人も知っていたから、大人してしていたしね」

「誰も彼に他に目的があるなんて思いもしなかったんだ。あの日、アドレッセント王国が消失した日まではね」

過去としておいてくるのはまだ新しすぎる記憶。それがフジの表情に陰りを落とした。

「フジ、まさか、その目的と言うのは...」

そこである事に気が付いて、テヅカが表情を曇らせる。ユキムラ達も思い当たる事があるようだった。

「多分、君の思った通りだよ。彼の目的は、アドレッセント王国が封印してきた禁断の書物”アンジッヒ”を手に入れる事。あの日アドレッセント王国で何があったのか、ここから先は説明するよりも見てもらったほうがわかりやすいと思う」

そう言ってフジは、自分の記憶の中の映像に思いを馳せた。

室内の光景が変わった。

魔術が発動されたのだと言う事は、その場に居た者達全員が感じていた。

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