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「...イヌイ、今何か凄まじい力を感じなかった？」

魔術師ギルドのイヌイの所を訪ねていたフジは、突然感じた得体の知れない力に
、背筋が凍る様な思いがしてそう聞いた。こんな思いをしたのは初めてだった。
自分の気のせいだと思いたかったのかもしれない。

「確かに...、何かを感じた。フジ、王宮に戻った方がいいんじゃないか？」

何かの力を感じたと思ったのは、フジの気のせいではなかったらしい。フジの
目の前にいるイヌイの表情も、今までに見た事がないくらい青ざめている。

「やっぱり、そう思う？」

「あぁ、俺も一緒に行くよ」

フジとイヌイは、自分達の感じた力の正体を知る為に、王宮へと急いだ。
魔術師ギルドは王宮の隣に建物を構えている。歩いていってもそうそう時間は
かからないが、非常事態だと感じた二人は、王宮まで魔術で移動した。物凄く嫌な
予感がした。王宮には禁断の書と呼ばれるアンジッヒが保管されている。
その事を知っているのは、アドレッセント王国でもごく一部の者達だけだ。
自国にそんな危険な物が封印されている事等、ほとんどの民は知らない。こ
の大陸に有るアドレッセント王国以外の六つの国の王家もその事を知っている。
その存在は極秘事項として、一部の人間にのみ伝えられているのである。

王宮についた二人は、真っ先にアンジッヒが封印されている封印の間と呼ばれる
部屋へと急いだ。その部屋はアドレッセント王国に城の地下に有り、常時見張りの
兵を置いているが、ほとんど人が近付く事はない。　　　見張りの兵でさえ、自分達が
守っているのが何であるのかを知らされてはいない。王家の宝が部屋の中に有ると、
偽りの情報を教えられているだけだ。その部屋を守る兵士は、魔術の素養の全く
ない者が選ばれている。部屋には魔術による仕掛けが施されている為だ。
宝を目当てに入ろうとしても、魔術の素養の無い者には、その仕掛けを解いて
中へ入る事はできない。そこまで厳重に守られているのは、中に有る物が
危険な物であるためだった。

二人が封印の間の前まで来ると、見張りの兵が倒れているのが目に入った。
そして開けられたままのドア。

得たいの知れない力は、その部屋からあふれだしていた。

「嫌な予感がする。イヌイ、君はギルドに戻って仲間を連れた後、城下に出て
住人達に城から離れて避難するように伝えてくれないかな？」

「フジはどうするつもりなんだ？まさか、一人で封印の間に入る気か？」
「危険は承知の上だよ。でも、この得体の知れない力が、アンジッヒの魔力だとしたら、
侵入者はあれの封印を解こうとしているのかもしれない。そんな事になれば、いったい
どう言う事態になるのか、君にもわかるだろう。あれは人の手には負えない代物、
躊躇している時間はない」　　　　
　「...しかし」　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　「頼んだよ、イヌイ」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　そう言ってフジは、イヌイの返事を待たずに、中へと入っていった。
いくらフジが優れた魔術師であるとは言え、彼を一人で行かせる事に、
イヌイは不安を覚えた。しかしフジの言う様に住人達を早く避難させた方がいいと
思う気持ちもある。何かが起こってからでは遅いのだ。このままこの場を去るのは
不本意ではあるが、イヌイはもう一度魔術師ギルドに戻ると、中間を集めて城や
城下町の住人に避難するように呼びかけた。

部屋の中へ入ったフジは、部屋の奥の扉へと近付いていった。ドアを開ければ
そこには禁断の魔術書アンジッヒが封印されているはず。

「これは...」

中の惨状を見て、フジは言葉をなくした。

「遅かったね、皇子様」

部屋の中には、数人の人が倒れていた。皆魔術師の格好をしている。
その事からも、倒れているのが魔術師ギルドの若い魔術師見習いである
と言う事がすぐにわかった。その中で部屋の中に一人だけ立っている人物があった。
その人物が挑発するかのように、フジを見ていた。フジに言葉を投げかけたのもその人物だ。

「君は、ラティオダンク王国から来た...」

「へぇ、覚えていてくれたんだ？」

「当然だろう？そんな事より、君は自分が何をしているのかわかっているのか？」

「わかっているよ。禁断の書物アンジッヒの封印を解こうとしている。八割形は解けた。
後少しで、アンジッヒは封印から解放される。

どこか恍惚とした表情を浮かべて、少年はそう言った。
側で倒れている魔術師見習い達は、彼がそそのかして封印を解くのに協力させたのだろう。
何をどう聞いたのかは知らないが、嘆かわしい事だと言わざるをえない状況だった。
知らなかっただろうとは言え、彼等はとんでもない事に手を貸したのだ。

「君はそれを手に入れてどうするつもりなんだ？アンジッヒは危険な代物なんだ。
それは人が扱えるものじゃない」　　　　　　　　　　　　　　　
少年を止める為、フジは言葉での説得を試みた。　　　　　　　　　　　
　「俺だって好きでこんな事をしているわけじゃないけど、我が国の王様の命令なんでね。
どうしてもこれの封印を解いて持って帰らないと、こちらの首が危うい」

少年はそう言って邪悪な笑みを浮かべた。フジの言葉等その耳に届いてはいない。
彼が今思い描いているのは、自分に与えられた任務を遂行する事だけ。それが
どれだけ危険な事なのかと言う事は、全く認識していないのだ。

「...封印を解くのを今すぐ止めるんだ。そうしないと君の命も危ない」

「随分と大げさな事を言うね。たかが魔術書じゃないか」

少年は笑っていた。自分の身が危ういと言うのに、それすらもわかっていない。
アンジッヒは普通の魔術書とは違うのだ。

何も知らないと言う事は恐ろしい事だとフジは思った。だからこそ彼は今にも
辺りを破壊しそうな魔力の余波を感じながらも平然と立っていられるのだ。
それは自分だけは、封印を解いても無事でいられると思っているからに違いない。
彼の動きを止めようにも、アンジッヒから放たれる魔力の波に邪魔をされて近付く
事もできない。その間に少年はアンジッヒの施された封印を解くために、意識を集中させた。

「やめろ！」

フジの叫びも空しく、少年は封印を完全に解いてしまった。

そして押し寄せてくる純然な魔力。少年は自分がどうなったのかも理解できないまま
凄まじい魔力に飲み込まれてその場から消失した。

影一つの残さずに。その場に倒れていた魔術師見習い達も同様だった。

今この場に残っているのはフジ一人だけ。

フジは何とかアンジッヒの力を押さえ込もうと、自分の手を前に翳し、必死に力に
抵抗していた。拮抗した力は、互いの牽制し合い動きを止めている。けれどいつまで
持ちこたえられるかはわからない。

自分もこの魔力の飲み込まれて死ぬのかもしれないとフジは心のどこかで覚悟していた。
相手は疲れを知らない物だから、いつまでも魔力を放出していられるだろうが、フジは
そうはいかない。どちらかが力つきて拮抗が崩れるとしたら、それは間違いなくフジの方なのだ。

どれくらそうしていたのだろうか。

ほんのわずかな時間のようでもあり、物凄く長い時間のようでもあった。急に抵抗が
弱まったような気がして、フジは閉じていた目を開ける。そして側に立つ人物を見て、
驚いたような表情をする。

「陛下...」

「こんな時くらい、余所余所しい呼び方はやめて欲しいな」

その場に現れたこの国の王は、そう言って笑うと息子に笑顔を向けた。

「本当に...」

そしてその隣には王妃の姿もあった。アンジッヒの魔力が弱まったように感じたのは
、二人の助勢があったからだ。二人とも優れた魔術師なのである。

「フジ、こうなった以上、アンジッヒの暴走を止める手立ては一つしかない。わかるな？」

父の言葉にフジはその覚悟を知った。

「...どうするつもりですか？」

うすうすとこれから何が行われようとしているのか察しながらも、フジはそう聞かずにはいられなかった。

「完全に暴走してしまったアンジッヒを、我々だけで元の状態に戻す事は出来ない」

王ははっきりとそう言った。正式な手順をふまずに封印を解かれたアンジッヒは、
解いた者の思いをそのまま受けて暴走してしまった。　　　　　
アンジッヒは、普通の魔術書のように頁を開けば呪文が書かれていると言ったような代物ではない。
それ自体が魔力を持っていて、持つ者に強大な力を与えると言われているが、
手にして無事でいた者は一人もいない。アンジッヒとは力を求める者には、無尽蔵にその魔力を
与えると言うある意味魔力の増幅装置のようなもの。今より魔術が栄えていたと言われる古代王国時代。
この大陸に今の七つの王国が栄える前の時代。その頃に作られたと言われている魔力を持った書物。
恐らくそれを作った魔術師は、その力が有効に使われる事を望んだのだろう。古代王国時代の
優れた魔術師が作り上げた研究結果の産物。しかしそれは悲劇の始まりでもあった。　　
言い伝えによると、アンジッヒの力の使い方を誤ったが為に、栄光を極めた古代王国は滅びたとある。
アンジッヒの魔力は作り手の意に反して強力すぎたのだ。それ故に、生き残った者達の手によって、
禁断の書として封印される事になった。それは遥か遠い昔の話。
　　　　　　　　　　　
　当時優秀な魔術師が１０人がかりでやっとアンジッヒの封印に成功したと伝えられている。
伝承では、この封印を解く方法も伝えられていたが、そうなる日が来ない事を願うとも伝えられていた。
それはアンジッヒが人の手に折れる様な代物ではないからだ。その危険な魔術書を破壊しようとした
魔術師もいたらしいが、それは成功しなかった。だから封印と言う後に不安要素を残す形になったのだ。

「封印を戻る事が出来ないなら、どうするおつもりですか？」　　　　　
　「わかっているんでしょう？」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　フジの言葉に答えたのは王ではなく王妃だった。　　　　　　　　　　　
　「でも、それは...」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
父と母が何をしようとしているのか、フジには心当たりがあった。　　　　
「確かにこの術はまだ未完成のもの。でも、これは私達の負った使命。あなたにも大変な宿命を
背負わせる事になるわね...。勝手だと思うかもしれないけど、許してね。それでも貴方には生きて
いて欲しいと願うの」　　
　「親の勝手な願いだが、どうか聞き届けて欲しい。自由に生きて、そして幸せになれ」

二人がしようとしている事を、フジは止める事が出来なかった。

そして王と王妃は、まだ未完成とされる魔術を使った。

凄まじい力の本流が辺りを包み込む。

一瞬のうちに城も城下町も飲み込んで、膨らんだ力は消失した。

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