その日もいつもと変わらない一日になるはずだった。

授業が終わった後、手塚は部活に出た。

いつもなら部活の後、コート内の片づけ等を終えてそのまま帰宅するところなのだが、その日は違った。着替えを終えた手塚は、校門ではなく校舎の中に入っていった。そして理科室へと向かう。

本来なら鍵がかかっているはずのそこは、先客によって鍵が開けられていた。

「やぁ、手塚」

先に来ていた乾が、遅れて来た手塚に声をかける。すっかりそこの常連となりつつある乾は、慣れた調子で手塚に自分の前の席に座るように勧めた。

「乾、こんな所に呼び出して、いったい何の用だ？」

手塚は呼び出しを受けた理由がわからずに、眉間に皺を寄せて怪訝そうな表情をする。手塚が乾に呼び出しを受けたのは、部活が始まる前の事。部活が終わった後、少し時間をもられないかと言われて、理由がわからないながらも承諾した。

「面白い物を見付けてね。君に是非見てもらいたいと思って」
「俺に見せたい物？」
「そう、これなんだけどね」
乾はそう行って、昨日不二に自分が処理するからと言って引き取ってきた、枯れた花とそれに結ばれていた用紙を机の上に広げた。それを見せた瞬間、手塚の視線がすっと冷たいものに変わった事を、乾は見逃さなかった。

「それが、いったい何だと言うんだ？」
手塚は冷たい口調で、そう尋ねた。
「昨日、部室で見付けたんだ」
あえて不二が見付けたものだと言う事は伏せて、乾は手塚にそう告げた。いかにも自分が見付けたのだと言う様に。手塚がそう思う様に。
「..................」
「最初に見付けた時、この用紙はこう畳まれてこの花に結ばれていたんだよ。紙に書かれた歌からして、花が枯れる前は、風流な趣の恋文だったんじゃないかなと想像できるんだけどね。どう思う？」
「.................」
乾の問いに手塚は何も答えない。それでも気にせずに、乾は話を続ける。

「名前が書かれていないから、誰が書いたものなのかはわからない。けれど、これが見つかったのがテニス部の部室だと言う事と、結ばれていた花が藤の半田と言う事から、わかった様な気がしたんだ。この恋文が誰を想ってかかれたものなのか。勿論、これは俺の想像だし、本当はちがっているのかもしれないけどね」
「..................」
「これは不二に向けられた恋文なんじゃないかって俺は思ったんだけど、どうなのかな
手塚？」
「なぜ、そんな事を俺に聞くんだ？」

「心当たりがあるんじゃないかと思って」

乾は問いかける様に手塚を見た。

昨日不二と一緒にお昼休みにこの紙に何がかかれているのかを知らべた時、歌の内容かあら恋文だろうと言う事は想像がついた。

花の方は枯れてしまっていた為、不二はあまり気にとめていなかったようだが、乾は違った。花が藤の花である事から、それが不二に向けられたものではないかと思ったのだ。

不二にその事を告げなかったのは、それを彼がどう受け取るかわからなかったから。

書かれていた歌の作者の性別と、部室にあった事から考えても、それを書いたのは男である可能性が高い。同性からそう言う感情を向けられる事を、不二は不愉快に思うかもしれない。そう言う心情を慮っての事。

花だけでなく、乾は紙の方にも注視していた。

結ばれていた紙が、それほど古びていなかった事から、その歌が書かれたのが、そう過去の出来事ではない事を示している。そして藤の花は校内には植えられていない。藤の花は元々山野に自生している花だ。校内どころか、この花を庭に植えている家と言うのは、そうそう見た事がない。勿論観賞用に庭先に植えている家も有るから、全く敵はいらないと言うわけではないが、手に入れやすいと言うものでもない。

この歌を書いた人物は、何故わざわざ手に入れにくい花にこの歌を結んだのか。

ただ結ぶだけなら、庭先にあるような身近で手に入りやすい花で良かったはずだ。そう考えると、わざわざ藤の花を選んだ事に意味があるのではないかと、乾は考えたのだ。その事が不二とつなげて考えた要因。

”藤”を”不二”に見立てたものではないのかと。

この歌が不二に向けられたものだとすると、自ずと書いた相手と言うのもある程度限られてくる。テニス部の部室にあった事からも、相手が同じテニス部の部員である可能性が高い。部外者が部室に入るのは、余程の用事がない限りありえない。それらの事から、差出し人は同じテニス部の部員で、その想いを向けられたのは不二だろうと乾は結論づけた。

手塚に当たりを付けたのは、今のテニス部にいる部員達の中で、そう言う古風な事をしそうだと思った事が第一の理由。パソコンが普及し、手紙ではなくメールが主流になっている時代に、恋文を書く人と言うのも少ないだろう。それが自分と同じ中学生なら尚更の事。

もう一つの理由は、藤の花を手塚なら手に入れられるのではないかと思った事。

手塚の趣味がアウトドアな事を乾は知っていた。手塚なら趣味で出掛けた先で、藤の花を手に入れられたのではないかと思ったのだ。

乾はテニスに関して、皆のデーターを取る事に勤しんでいる。元々そう言うデーターを集めて自分で分析する事はあったが、それを本格化させたのは最近の事。最初は純粋に相手のの弱点を探り、自分がレギュラーを決めるランキング戦に参加した時の資料にするつもりで始めたものだった。ところがそう言う事をしているうちに、いつの魔にかテニス以外のデーターまで集める様になってしまっていた。その事によって、他人を観察する事が多くなった。

手塚の事は特に容易に勝たせてはもられない相手として観察していた。持ち前の才能に加え、努力を怠らない手塚。その手塚に勝つと言う事は容易ではない。

そうして観察しているうちに、乾は、手塚の秘めた想いにもなんとなく気付いてしまった。部活等の何気ない時間、手塚が時々不二の方を見ている事に。その事も今回の事を手塚と結び付けた要因になっている。

「一つ聞いてもいいか？そんな事を調べてどうする？」

乾の問いには答えず、手塚はそう質問を返した。

「別にどうもしないよ。調べているのは単なる好奇心かな？」
「はた迷惑な好奇心だな...」
「そうかい？別にそれをネタに相手を脅そうとか言うわけでもないし、ただ本当の事が知りたいだけだよ。これを書いた本人に迷惑をかけるつもりもない。多分、最初から渡すつもりのない物だったんだろうしね」
肩を竦めて乾はそう断言する。書かれていた歌は相手への忍ぶ恋心を歌ったもの。つまり伝えるつもりはないのだろうと言う事も、何となくわかっていた。

「相手に迷惑かどうか、それは個人の見解の相違だろう。用件と言うのはそれだけか？」

「そうだけど...」

乾がそう答えると、手塚はこれ以上話を聞く気はないと言わんばかりに、さっさと踵を返した。

『怒らせてしまったかな...』

明らかに気分を害した様子の手塚を見て、乾はそう思った。それでもまだ言っておきたい事があった。それが余計なお節介だったとしても。

「手塚、不二は異性だけでなく同性にも持てるよ」

去っていく手塚に、乾はそう忠告した。そう言う乾も不二には興味がある。そんな風に言ったら手塚はどうするのだろうかと、どこか実験的な事を考えながらも乾はその姿を見送った。

わざわざ手塚を呼び出したのは、相手の反応を見たいと言う気持ちと、その一途な想いを応援したいと言う気持ちの半分半分と言ったところ。

手塚は、乾の言葉に振り返る事なく理科室を出ていった。

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