その日、手塚と大石は買い出しの為出掛けていた。

今不二は菊丸と二人で、リビングの机を挟んで向いあっている。
    
 「えっと.......」
                           
菊丸は、持って来た宿題の問題集と睨めっこをしていた。 
      
 「ここは、こうだよ...」 
                      
問題と睨めっこをしたまま一向に進まない様子の菊丸に、不二がアドバイスをする。
                            
 「不二ってば、キオクソウシツのくせに、勉強の事は覚えているんだにゃ?」 
                            
 「...そうだね、何でだろう?」 
                   
聞かれても説明できる事ではなく、不二は首を傾げた。
        
 けれどもすぐに自分の問題集の方に集中する。今日の買い出しは、本当は不二と菊丸の二人も
一緒に行くつもりだった。けれど、手塚と大石に比べると、二人の宿題ははかどっているとは言い難く、
結局留守番をしてその間に宿題を進めておくと言う事になった。
               
二人の宿題がはかどっていない理由は、菊丸の場合、すぐに飽きて止めてしまう為。不二の場合は、
記憶を無くしてから宿題には一切手をつけていなかった為である。
                        
 こちらに来てから既に10日目。
                 
 四日後には帰る事になっている
。                  
 「ねぇ、今日も向こうに行くの?」 
                                 
そろそろ宿題に飽きてきた菊丸が、そう聞いた。最近不二は、毎日のように佐伯の別荘に行っている。                     「うん。午後から少し行ってくるね」 
               
 「向こうでにゃにをしているの?」 
                
 「子供の頃の話とか聞かせてもらっているんだ。ほら、彼とは幼馴染みだし、
色々と積もる話があるみたいで。良かったら、英二も一緒に行く?」 
「行かにゃい...」
                         
 「そう?向こうの人たちも皆良い人なのに...」
            
 不二は残念そうにそう言った。何度か佐伯の別荘に遊びに行くうちに、
彼の友達ともそれなりに親しくなっていた。           

買い出しに行っていた手塚と大石が帰って来た。 
          
 その二人と入れかわるように、今度は不二が出掛けた。
         
「手塚、不二に何か言った?」
                    
不二が出掛けるなり、菊丸は手塚に問いかけた。
            
「何の話だ?」
                           
帰るなり唐突にそう聞かれて、手塚は話の筋が見えずにそう問い返した。

「英二?」
                            
 手塚と同じ様に、大石もわけがわからずに首を傾げて菊丸の方を見た。
二人に聞かれて、菊丸は口を開いた。
                 
 「不二にさ、聞かれたんだ...」
                   
 「何を?」 
                            
大石が、菊丸に先を促した。
                     
「男同士の恋愛についてどう思うかって...」 
            
 「それは.......」 
                         
 「だから手塚が、不二に何か言ったのかと思ったんだけど...」
     
 大石と菊丸は手塚の方を見た。
                   
 二人の目から見て、手塚の不二に接する態度は、不二が記憶をなくした当初に比べると
自然に振舞っているように見えていた。それでも幾分かぎこちなく感じるのは仕方がない事。
                  
 そんな手塚が、今の不二に自分達が恋人同士だったなどと言う混乱させるような事を言ったと
本気で思っているわけではないけれど、確認せずにはいられなかった。
                         
 「俺は、何も言っていない...」
                    
手塚の答えに、菊丸と大石は、内心やっぱりと呟いていた。予想された答え、けれどそれを
聞いた事によって、菊丸の中でぼんやりと感じていた不安が現実味を帯びつつあった。 
                  
 「...そうだよにゃ、多分そうだろうとは思ったんだけど...。不二が突然そんな事を言い出すから、
おかしいと思って、不二に聞いたんだ。誰か好きな人ができたのかって...」
                      
 「それで、不二は、何て言ったんだ?」
               
 「自分でもよくわからないって言ってた...」 
            
 「そうか...」 
                          
 何とも言えない重い空気が室内を流れていた。 
            
皆気付いてしまったのだ。記憶を無くしてしまった不二が、手塚以外の人を好きになるかも
しれないと言う事実に。大石と菊丸は、言葉がみつからず手塚の方を見た。
                         
冷静に見える表情とは裏腹に、手塚は感情を抑えるかの様に拳をぎゅっときつく握っていた。


「あれ?他の皆は?」
                       
 佐伯の別荘に着くなり、不二はそう尋ねた。いつもなら誰かの楽しそうな笑い声が聞こえてくるのだが
、今日はやけに静かに感じられた。    
 「皆は、昨日帰ったんだ」 
                     
不二に聞かれて、佐伯はそう答える。
                
 「そうだったんだ、知らなかったよ...」
               
 「本当は俺も一緒に帰る予定だったんだけど、自分だけ明日まで滞在を延ばす事にしたんだ」                         佐伯が滞在を延ばした理由は、聞かなくても不二にもわかった。けれど、不二はまだその答えを出せていない
。その事が申し訳ないような気がして、不二は表情を曇らせた。
                    
 「...佐伯」
                            
 「不二、今から庭でテニスをしてみないか?」
            
 「でも...」 
                           
 「テニスって言っても、軽く打ち合うだけさ。それなら出来るだろう?」
 佐伯に誘われるままに、不二は庭に出て、ラケットとボールを持った。忘れてしまっていても、確かに
それは自分の手に馴染んだ感触のような気がした。そして、不二はサーブをした。
                
 パーンと言う心地よい音が辺りに響く。
                
お互い相手が取れるような球しか打たない。遊びだから、ムキになって打ち返すような事はしない。
                     
 「こうしていると、小さい頃の事を思い出すよ。よくこうやって一緒に遊んだんだ」                            
 ボールを打ち返しながら、佐伯はそう言った。
            
 佐伯に言われて、思い出せないながらも不二は頷いた。確かにこうして打ち合うと言う事が、
初めてだと言う気はしない。それに佐伯が嘘をつく理由はないから、そうなのだろうと素直に
受け止める事が出来た。    
 こんな風に汗をかくのは、久し振りのように不二は感じた。
       
遊び目的だから、15分くらい打ち合いを続けた後、適当なところで切り上げる事にする。
                         
 「誘ってくれて有難う佐伯、何だか楽しかった」 
          
 「俺も、不二と久し振りに打てて楽しかったよ」
            
そう言って佐伯は笑った。スポーツマンらしい爽やかな笑顔に、不二はもう一度ありがとうと告げる。                     「汗かいちゃったね...」                      

 「気持ち悪いなら、シャワーでも浴びてくる?着替えなら俺の服を貸すよ」
                               
 佐伯の言葉に不二は甘える事にした。汗にぬれたシャツが肌に張り付いて、少し気持ち悪かった。                      シャワーを浴び終わった後、不二は用意された服に着替えた。
      
不二がシャワーを浴びた後、佐伯も汗を流してくると言った。
その間待っていて欲しいと言われて、不二は言わ

佐伯が突然不二の上から体を起こした。
               
 「...ゴメン、泣く程、嫌だった?」 
                 
「えっ?」
                            
 佐伯に言われて、不二は自分が泣いている事に気がついた。 
     
 佐伯はクローゼットの引き出しからハンカチを取り出すと、不二の涙を拭ってやった。
                           
「佐伯...、僕...」
                         
 「わかってる、不二が俺を好きだといってくれたのは、特別な意味じゃないって」
                             
 「ゴメン.......」
                          
 「謝らないでくれよ...。辛くなるから...」
                
少し寂しそうに佐伯がそう言った。自分の曖昧な態度が佐伯を傷つけてしまったと、
やるせない気持ちで、不二は膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
                             
 「俺さ、本当はわかっていたんだ」
                  
そんな不二の様子に、佐伯は肩を竦めてそう言った。
         
 「佐伯...?」
                           
 「不二に他に好きな相手がいるって事」
               
 佐伯はあれはいつの頃からだっただろうかと思い返す。不二の口から弟以外の
名前をよく聞く様になったのはと。
               
 確認しなくても、不二がその相手を特別な存在として見ているのは知っていた。
だから自分の気持ちを告げるつもりはなかった。ここでこんな風に再会するまでは。
                         
 不二が記憶をなくしていると聞いて、佐伯の心に魔が差した。もしかしたらと淡い
期待を持って、不二に言えなかった自分の気持ちを告げた。  
 このまま奪ってしまいたいと思っていた。
              
 けれど、不二の涙が佐伯のそうさせることを止まらせた。 
      
 「...僕、帰るね。借りた服は、明日返しにくるよ...」
         
 「いいよ、返しにこなくても」
                    
「でも...」 
                           
 「明日、平気な顔で不二と会えるかどうか自信がないから」
      
 「佐伯...」 
                           
 「しばらくは無理だろうけど、今度は普通の幼馴染みとして会おう。
その時には不二の記憶が戻っているといいな」 
              
佐伯の言葉に不二はただ頷いた。これ以上何か言っても、佐伯を傷つけるだけだと思うと、
言葉は出てこなかった。
              
 佐伯の言う様に、次に会う時は幼馴染みの二人として会いたい。けれど、そうするには、
お互いに少し時間が必要なのだ。

    

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